戦国時代

ことわざ・敵に塩を送るの意味や由来を解説!語源の上杉謙信と武田信玄の逸話は真実の実話?

「敵に塩を送る」ということわざの意味や使い方、さらにはその由来について史実をもとに少し掘り下げて解説しています。

先にお伝えすると、このことわざの由来は戦国武将の上杉謙信と武田信玄の関係性から生まれたものですが、はたしてその由来となった逸話は真実だったのでしょうか?

ことわざ「敵に塩を送る」の意味や使い方・由来を解説!

まずは「敵に塩を送る」意味や使い方、このことわざの由来について解説していきましょう。

ことわざ「敵に塩を送る」の意味を解説

  • 敵の弱みにつけこまず、逆にその苦境から救うこと。
  • 争っている相手が苦しい状況にいる時、援助すること。
  • 敵であっても苦境にいる時は助けること。

概ね上記のような意味合いで用いられることわざです。

似たような表現で「傷口に塩を塗る」ということわざがあありますが、こちらは「悪い状況をさらに悪化させること」という意味合いがあり、まったく反対の意味になってしまうので要注意ですね。

 

ことわざ「敵に塩を送る」の使い方を紹介

  • 競合企業だが、災害の影響で苦しんでいる為、「敵に塩を送る」つもりで当社はその企業に資金援助を行った。
  • 彼のことは嫌いだが、明日の会議資料作りに苦戦しいる。資料作りを手伝って「敵に塩を送った」。
  • 水分補給できなかったマラソンランナーに、別のランナーがボトルを渡した。まさに「敵に塩を送る」行いだ。

 

ことわざ「敵に塩を送る」の由来を解説

このことわざの由来は、戦国時代に越後の上杉謙信が甲斐の武田信玄に塩を送った逸話がもとになっていると言われています。

どういうことかというと、武田信玄が拠点としていた甲斐(現在の山梨県)は海がなく、塩は他国から仕入れるしか手立てがありませんでした。

塩は調味料として欠かすことができないもので、塩がなければ武士だけでなく一般の人々の生活も苦境に立たされます。

ところが、武田信玄は塩の仕入先であった駿河(現在の静岡県)の今川氏真うじざね(今川義元の子供)と相模(現在の神奈川県)の北条氏康との同盟関係を破棄してしまった為、その報復措置として甲斐へ塩を売ることを禁じたのです。

これにより甲斐の国の人々は塩を手に入れられず困り果てていました。

この状況を知った上杉謙信は、長年武田信玄とは敵対するライバル関係にありながらも、困っている甲斐へ塩を送って苦しい状況を助けたと言います。

この逸話がもとになり、この「敵に塩を送る」ということわざが生まれたのです。

一般的には、このことわざの背景には、

  • 「義」を重んじる上杉謙信が、甲斐の一般の人々への慈悲の念から塩を送った。
  • 戦いで決着をつけるという美意識から塩を送った。

といった上杉謙信を称えることわざでもあります。

 

 

「敵に塩を送る」の語源となる上杉謙信と武田信玄の逸話は真実?

「敵に塩を送る」ということわざは、上杉謙信が「義」の精神で武田信玄の拠点だった甲斐に塩を送ったことに由来しているとお伝えしました。

では、実際のところどうだったのでしょうか?はたして本当に上杉謙信は「義」の為に塩を送ったのでしょうか?

また、なぜ武田信玄は今川氏真や北条氏康との同盟を破棄したのでしょうか?

ここから先は、このあたりのことを史実を検証しながら解説していきます。

史実から検証:上杉謙信は塩を送っていない・価格を規制しただけ

結論から言うと、上杉謙信は武田信玄に塩を送っておらず、価格を規制しただけ。

塩が手に入らず武田信玄が困っていると知れば、ライバルであった上杉謙信も便乗して塩の売買を止めるか、もしくは高値で売りつけて経済的に武田信玄を困らせることもできました。

しかし、上杉謙信はそうはせず、商人に対して価格を吊り上げること規制して、普通に塩を売ることを許可しただけなのです。

この「塩」にまつわる逸話は、上杉家の『謙信公御年譜』や、『武田三代軍記』『山鹿類語』といった武田家寄りの軍記物など複数の書物に掲載されており、事実であったと考えられます。

ただ、いずれの内容も「塩を送った」わけではなく、「塩を(適正価格で)売った」と書かれているのです。

こうした逸話は口伝えで尾ひれがついて広まることが多く、いつの間にか「上杉謙信が武田信玄に塩を送った」となっていったものと思われます。

 

なぜ武田信玄は今川氏真や北条氏康との同盟を破棄したのか?

さて、そもそもなぜ武田信玄は今川氏真や北条氏康との同盟を破棄したのかというと、それは織田信長が今川義元を討ち取った「桶狭間の戦い(1560年)」がきっかけです。

それまで「海道一の弓取り」と呼ばれ、絶大な力を誇っていた駿河の今川義元と武田信玄・北条氏康は「甲相駿こうそうすん三国同盟」という同盟を結んでいました。

ところが、織田信長によってその今川義元が討ち取られてしまうと、後を継いだ今川氏真は当主としての力量がなく、今川家は衰退していきます。

それにつけこんで、武田信玄はこの同盟を破棄し、海のある駿河に侵攻しようと考えたのです。

そして1568年に武田信玄が駿河へ侵攻を開始したことをもって、この「甲相駿三国同盟」は破棄され、今川氏真及び北条氏康は激怒して塩の売買を停止する措置にでたわけです。

つまり、武田信玄が塩の売買を止められたのは自業自得だったわけなんですね。

武田信玄と言えば、戦国武将を代表する人物の一人で、軍神・上杉謙信と戦って「なんとなくカッコいい武将」というイメージがあるかと思いますが、実は同盟を破ることはこれだけではなく、実は酷いこともけっこうやってます。

そんな意外な武田信玄については、下記の記事ご紹介していますので、興味を持った人はこちらもぜひ読んでみて下さい。

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なぜ上杉謙信はライバルの武田信玄に塩を売ったか

ところで、上杉謙信と武田信玄といえば何度も戦ったライバルとして有名ですよね。

いくら「義」の武将といえど、なぜ武田信玄に塩を適正な価格で売ったのでしょうか?

それは、すでに武田信玄との戦いをする必要性があまりなかったからです。

上杉謙信と武田信玄の戦い「川中島の戦い」は、1553年の第一次から1564年の第五次まで断続的に続きました。

1561年の第四次合戦で総力戦となり、第五次合戦はにらみ合いのまま終わり、以後両者は収束に向かったとされています。

お互いに消耗戦を避けたいという思惑があったと考えられるのと、両者とも次なる領土拡大路線を変更したことが挙げられます。

前述のとおり、武田信玄は駿河の今川領を次なるターゲットにし、上杉謙信は関東や越中方面に狙いを定め、お互いに干渉することをやめたのです。

つまり、武田信玄が今川氏真や北条氏康と同盟を破棄して塩に困っていた頃は、すでに上杉謙信との戦いは終わっていたんですね。

また、塩の売買を停止することで、武田信玄を刺激して再び対決するのも得策ではありませんし、何より武田信玄に対し恩を売って優越的な立場に立つこともできます。

そうした観点から、上杉謙信は塩を適正価格で売ることににしたのかもしれませんね。

ところで、上杉謙信は越後に拠点を構えており、関東在住の人にはあまり縁がないと思っているかもしれません。

しかし、実は上杉謙信は毎年のように関東へ進出しており、北条氏康が拠点としていた小田原城まで攻め込んで来ていました。

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まとめ

  • ことわざ「敵に塩を送る」は「敵の弱みにつけこまず、逆にその苦境から救うこと」といった意味を持つ。
  • 「敵に塩を送る」の由来は、塩不足で困っていた武田信玄に上杉謙信が塩を送ったとされる逸話による。
  • 上杉謙信は「塩を送った」のではなく、「塩を(適正価格で)売った」ことは事実と考えられる。
  • 武田信玄が塩に困っていたのは、今川氏真と北条氏康との同盟を破棄し、売買を止められたことによる。
  • 上杉謙信がライバル(だった)武田信玄に塩を送ったのは、すでに武田信玄との戦いは終わっていたことによる。

 

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