戦国時代

織田信長から佐久間信盛への手紙(折檻状)の内容は口答えが原因?温泉で転落死のエピソードについても

2020年7月4日

引用:Wikipedia

佐久間信盛は織田信長の父・信秀の時代から織田家に仕え、信長の家臣団の中では古参の武将でした。

しかし、長年仕えてきたにも関わらず、突然織田家からの追放を言い渡されてしまいます。

なぜ佐久間信盛は追放されてしまったのか、織田信長が突きつけた手紙(19か条の折檻状せっかんじょう)の内容から原因を解説しています。

 

織田信長に仕えた家臣の佐久間信盛とはどんな人物か簡単に解説!

臣従 織田家(織田信秀 / 織田信長)
出生地 尾張国愛知郡山崎
生没年 享禄元年(1528年)~天正10年(1582年)
主な戦歴 稲生の戦い(1556年)
桶狭間の戦い(1560年)
姉川の戦い(1570年)
比叡山焼き討ち(1571年)
三方ヶ原の戦い(1573年)
一乗谷城の戦い(1573年)
石山合戦(1576~1580年)

佐久間信盛は享禄元年(1528年)に尾張国に生まれ、当初は織田信秀の家臣として仕えますが、信秀の死後は嫡男の信長の家臣として臣従しました。

信長が幼少の頃から重臣の一人として仕え、信秀の死後に弟の信行(信勝)と家督相続争いで起きた「稲生いのうの戦い」でも信長の味方となって支えた古参の家臣です。

その「稲生の戦い」での功績により織田家家臣団の筆頭格となりました。

また、合戦の中でも一番難しいとされている退却戦の殿しんがり(最後尾で戦う部隊)を務めるのが得意だったことから退きのき佐久間」と呼ばれました。

古くから織田信長の重臣として仕えてきた佐久間信盛ですが、1580年に突如織田信長から手紙(折檻状)を突きつけられ、高野山へと追放されてしまいます。

ちなみに、信長が弟の信行(信勝)と家督相続争いがもとで戦った「稲生の戦い」について下記の記事で紹介していますので、こちらも参考に読んでみて下さい。

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佐久間信盛が織田信長に追放された原因は口答え?手紙(折檻状)の内容を解説!

さて、信長の父・信秀の頃から織田家に仕え、幼少期の信長を支えてきた佐久間信盛はなぜ織田信長に追放されてしまったのでしょうか?

追放にあたって信長が突きつけた手紙(折檻状)の内容から解説していきましょう。

織田信長が佐久間信盛に突きつけた手紙(19か条の折檻状)の内容を紹介

織田信長が佐久間信盛を追放するにあたって突きつけた手紙(折檻状)の内容は、おおまかに言うと次のうように要約できます。

  • 石山本願寺との戦いが長引いたのは佐久間信盛の怠慢である。
  • 明智光秀、羽柴秀吉、柴田勝家などの活躍に比べ、佐久間信盛は目立った結果を出していない。
  • 佐久間信盛には多くの国を与えているのに、それを活かしていない。
  • 身内ばかりを守り、戦には与力(援軍)ばかり使っている。
  • 朝倉との戦いで信長に対して口答えした。

一般的に、佐久間信盛が織田家から追放されてしまったのは、長年にわたって陣頭指揮をとっていた石山本願寺との戦いを抑え込むことができなかったことが一番の原因と言われています。

信長が突きつけた手紙の内容も、まずそのことが一番に書かれていることからも、最大の原因はこのことにあるでしょう。

また、明智光秀や羽柴秀吉(豊臣秀吉)など比較的新参の家臣が目覚ましい活躍を遂げるなか、古参の家臣として良い待遇を与えてきたのに目立った成果を挙げていない佐久間信盛に対して怒りをあらわにしているのがわかります。

信長はこの手紙を書いている時に怒りがこみ上げて感情的になったのか、過去のことを蒸し返して佐久間信盛のことを「卑怯」と何度も書いていますね。

ちなみに、信長による19か条の折檻状の全文は下記のとおりです。

一、佐久間信盛・信栄親子は天王寺城に五年間在城しながら何の功績もあげていない。世間では不審に思っており、自分にも思い当たることがあり、口惜しい思いをしている。

一、信盛らの気持ちを推し量るに、石山本願寺を大敵と考え、戦もせず調略もせず、ただ城の守りを堅めておれば、相手は坊主であることだし、何年かすればゆくゆくは信長の威光によって出ていくであろうと考え、戦いを挑まなかったのであろうか。武者の道というものはそういうものではない。勝敗の機を見極め一戦を遂げれば、信長にとっても佐久間親子にとっても兵卒の在陣の労苦も解かれてまことに本意なことであったのに、一方的な思慮で持久戦に固執し続けたことは分別もなく浅はかなことである。

一、丹波国での明智光秀の働きはめざましく天下に面目をほどこした。羽柴秀吉の数カ国における働きも比類なし。池田恒興は少禄の身であるが、花隈城を時間も掛けず攻略し天下に名誉を施した。これを以て信盛も奮起し、一廉の働きをすべきであろう。

一、柴田勝家もこれらの働きを聞いて、越前一国を領有しながら手柄がなくては評判も悪かろうと気遣いし、この春加賀へ侵攻し平定した。

一、戦いで期待通りの働きができないなら、人を使って謀略などをこらし、足りない所を信長に報告し意見を聞きに来るべきなのに、五年間それすらないのは怠慢で、けしからぬことである。

一、信盛の与力・保田知宗の書状には「本願寺に籠もる一揆衆を倒せば他の小城の一揆衆もおおかた退散するであろう」とあり、信盛親子も連判している。今まで一度もそうした報告もないのにこうした書状を送ってくるというのは、自分のくるしい立場をかわすため、あれこれ言い訳をしているのではないか。

一、信盛は家中に於いては特別な待遇を受けている。三河・尾張・近江・大和・河内・和泉に、根来衆を加えれば紀伊にもと七ヶ国から与力をあたえられている。これに自身の配下を加えれば、どう戦おうともこれほど落ち度を取ることはなかっただろう。

一、水野信元死後の刈谷を与えておいたので、家臣も増えたかと思えばそうではなく、それどころか水野の旧臣を追放してしまった。それでも跡目を新たに設けるなら前と同じ数の家臣を確保できるはずだが、1人も家臣を召し抱えていなかったのなら、追放した水野の旧臣の知行を信盛の直轄とし、収益を金銀に換えているということである。言語道断である。

一、山崎の地を与えたのに、信長が声をかけておいた者をすぐに追放してしまった。これも先の刈谷と件と思い合わされる事である。

一、以前からの家臣に知行を加増してやったり、与力を付けたり、新規に家臣を召し抱えたりしていれば、これほど落ち度を取ることはなかったであろうに、けちくさく溜め込むことばかり考えるから今回、天下の面目を失ってしまったのだ。これは唐・高麗・南蛮の国でも有名なことだ。

一、先年、朝倉をうち破ったとき(=刀根坂の戦い)、戦機の見通しが悪いとしかったところ、恐縮もせず、結局自分の正当性を吹聴し、あまつさえ席を蹴って立った。これによって信長は面目を失った。その口程もなく、ここ(天王寺)に在陣し続けて、その卑怯な事は前代未聞である。

一、甚九郎(信栄)の罪状を書き並べればきりがない。

一、大まかに言えば、第一に欲深く、気むずかしく、良い人を抱えようともしない。その上、物事をいい加減に処理するというのだから、つまり親子共々武者の道を心得ていないからこのような事になったのである。

一、与力ばかり使っている。他者からの攻撃に備える際、与力に軍役を勤めさせ、自身で家臣を召抱えず。領地を無駄にし、卑怯な事をしている。

一、信盛の与力や家臣たちまで信栄に遠慮している。自身の思慮を自慢し穏やかなふりをして、綿の中に針を隠し立てたような怖い扱いをするのでこの様になった。

一、信長の代になって30年間奉公してきた間、「信盛の活躍は比類なし」と言われるような働きは一度もない。

一、信長の生涯の内、勝利を失ったのは先年三方ヶ原へ援軍を使わした時で、勝ち負けの習いはあるのは仕方ない。しかし、家康のこともあり、おくれをとったとしても兄弟・身内やしかるべき譜代衆が討死でもしていれば、信盛が運良く戦死を免れても、人々も不審には思わなかっただろうに、一人も死者をだしていない。あまつさえ、もう一人の援軍の将・平手汎秀を見殺しにして平然とした顔をしていることを以てしても、その思慮無きこと紛れもない。

一、こうなればどこかの敵をたいらげ、会稽の恥をすすいだ上で帰参するか、どこかで討死するしかない。

一、親子共々頭をまるめ、高野山にでも隠遁し連々と赦しを乞うのが当然であろう。

右のように数年の間ひとかどの武勲もなく、未練の子細はこのたびの保田の件で思い当たった。そもそも天下を支配している信長に対してたてつく者どもは信盛から始まったのだから、その償いに最後の2か条を実行してみせよ。承知しなければ二度と天下が許すことはないであろう。

引用:Wikipedia

 

佐久間信盛を追放した原因は、朝倉義景との「一乗谷城の戦い」で口答えをしたから?

さて、上記の19か条の折檻状の中で、朝倉義景と戦った時のことを罵る内容が書かれていますね(赤字部分)。

これはどういうことかと言うと、越前の朝倉義景との「一乗谷城の戦い」で、織田信長は戦場から逃げる朝倉軍を追撃せずにいた家臣を叱り飛ばしました。

その時、その家臣団にいた佐久間信盛が「そのように言われましても、我々のような優秀な家臣団をお持ちにはなれますまい」と、自分を含め家臣団を擁護するように口答えをしました。

そのことがかえって織田信長の怒りの火に油を注ぐことになり、佐久間信盛は厳しい罰を与えられそうになります。

この時は他の家臣がとりなして事なきを得ましたが、信長はこの時のことを忘れずに覚えていて、19か条の折檻状の中で蒸し返したわけです。

ただ、これは信長が感情的になって追加した項目だと思われ、このことが直接的な原因とは考えにくいですが、過去のことをこうして追求されると、下手に信長に口答えしたら恐ろしいことになるのがわかりますね。

 

佐久間信盛の追放は、明智光秀が「本能寺の変」を引き起こした原因?

長年織田信長の重臣として仕えていた佐久間信盛が突然追放されてしまったことは、仕えている他の家臣にとっては衝撃だったでしょう。

「長年仕えていても、成果を挙げられなければ追放される」こうした焦りや恐怖が植え付けられても不思議ではありませんよね。

後に明智光秀が「本能寺の変」で織田信長に謀反を起こしたのも、こうした信長の過激なやり方に嫌気がさしたと言われることがありますが、その引き金となったのがこの佐久間信盛の追放だったとも言われています。

他の家臣に比べ、明智光秀が織田信長に仕え始めたのは遅いほうですが、年齢的には佐久間信盛と同世代だったこともあり、「明日は我が身」と危機感を覚えたとしても不思議ではありませんね。

 

 

佐久間信盛の死因は温泉で転落死?

天正8年(1580年)3月12日、佐久間信盛は息子の信栄は織田信長に高野山へと追放を命じられます。

さらに追い打ちをかけるように、翌年には高野山からも追放され熊野の奥まで流浪する羽目になりました。

そして過労からか、佐久間信盛は体調を崩してしまった為、療養のために温泉で湯治をしていると、なんと足を滑らせて湯治場から転落死してしまったそうです。

ただ、この転落死のエピソードについての真偽のほどはわかりません。

佐久間信盛の死因については病死であったとするものや、賊に殺害されたなど諸説あります。

ちなみに、この佐久間信盛の温泉で転落死したエピソードは下記の本に掲載されており、他にも一風変わった死に方や目を覆いたくなるようなものもあります。

気になった方はぜひ読んでみて下さい。

 

残念な死に方事典 

 

まとめ

  • 佐久間信盛は織田信長の幼少期から仕えた古参の家臣。
  • 佐久間信盛は織田信長からの手紙(19か条の折檻状)によって突然追放される。
  • 佐久間信盛が追放された大きな原因は、石山本願寺を長年かけても攻め落とせなかったから。
  • 朝倉義景との戦いで佐久間信盛が織田信長に口答えしたことを手紙(19か条折檻状)の中で蒸し返して非難している。
  • 佐久間信盛の追放が明智光秀の「本能寺の変」の引き金にもなった可能性がある。
  • 佐久間信盛は温泉で転落死したというエピソードがある(創作?)

 

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