戦国時代

戦国時代の織田信長の官僚として仕えた家臣を一覧で紹介!きつい仕事内容や序列についても解説

2020年7月11日

戦国時代の代表的な人物といえばなんと言っても織田信長でしょう。

信長といえば「桶狭間の戦い」や「長篠の戦い」など、数々の合戦を勝ち抜いて天下統一を視野に入れるほど勢力を拡大したわけで、その家臣であった武将についてはよく知られていると思います。

しかし、織田信長がこれほどまでに勢力を拡大できたのは、なにもこういった武将達の力だけではありません。

実は織田信長にはとても優秀な官僚(吏僚)の人材も豊富で、信長も名だたる武将に並んで高く評価していたことが伺えます。

この記事では、そんなあまり知られていない織田信長の官僚(吏僚)として仕えた家臣を一覧でご紹介しています。

織田信長について、合戦だけではなく少し違った視点で見ることができると思いますよ。

 

目次

戦国時代の代表・織田信長の官僚(吏僚)として仕えた家臣を一覧で紹介!

家臣名 仕え始めた時期 役職
林秀貞はやし ひでさだ 父・信秀の頃から 筆頭家老
村井貞勝むらい さだかつ 家督相続の頃から 京都所司代
島田秀満しまだ ひでみつ 家督相続の頃から 京都奉行
松井友閑まつい ゆうかん 将軍・足利義輝亡き後から 右筆
武井夕庵たけい せきあん 美濃攻略後から 堺代官

林秀貞:幼少期の信長の後見役も務めた筆頭家老

林秀貞は信長の父・信秀が存命の頃から織田家に仕え、信長が幼少の頃に那古野城を与えられた時に後見役として仕えた人物です。

当初から信長の筆頭家老(一番家老)として仕えて、桶狭間の戦いの後に信長と徳川家康の間で結ばれた清洲同盟の立会人を務めるなど、重要な交渉に携わった人物です。

林秀貞は後述の村井貞勝とともに、完成したばかりの安土城天主の見学を許されており、信長にとって重要な家臣の一人だったことが伺えます。

しかしながら、信長が全盛期を迎えた1580年頃に、突如として家中から追放されてしまいます。

追放されたその意外な理由については下記の記事で紹介していますので、林秀貞の経歴なども詳しく知りたい人は読んでみて下さい。

おすすめ
no image
林秀貞はなぜ織田信長に追放されたか理由を解説!反旗を翻した稲生の戦いについても

織田信長の父・信秀の頃から織田家の重臣として仕えた林秀貞は、信長の家臣団の中でも古参の人物です。 ところが、長年重臣として信長に仕えていたにも関わらず、突然追放を言い渡されてしまいました。 はたしてな ...

続きを見る

 

村井貞勝:絶大な信頼を得ていた京都所司代

引用:Wikipedia

村井貞勝は信長が家督を継いだ頃には仕えていたとされ、その頃から難しい交渉の席には必ずと言っていいほど村井貞勝の名前がありました。

信長が足利義昭を将軍として京都に上洛させると、村井貞勝を京都所司代として京都の政治を託します。

村井貞勝は、足利義昭の京都での居城として防衛力の高い二条城をわずか2ヶ月ほどで完成させるなど、京都所司代として京都の統治を一身に背負って活動していました。

また、朝廷との交渉を行ったり御所の修繕なども行うなど、信長と朝廷を結ぶ橋渡し役としても活躍をみせます。

そんな朝廷の御所の壁の修理に関して、一風変わったアイディアでまたたく間に修理を完了させてしまったエピソードもあります。

その斬新なアイディアで修理した壁のエピソードと、村井貞勝の波乱万丈の人生については下記の記事で紹介していますので、ぜひこちらも読んでみて下さい。

おすすめ
村井貞勝とはどんな人物か解説!京都の二条城造営のエピソードや本能寺の変での死についても

引用:Wikipedia 織田信長の家臣は戦場で戦う武将だけではなく、家中の政務を担う人材も豊富で、中でも特に優秀な人材として織田信長から絶大な信頼を得ていたのが村井貞勝です。 織田信長は将軍・足利義 ...

続きを見る

 

島田秀満:15代将軍・足利義昭とのパイプ役

島田秀満は村井貞勝と同じ頃に信長に仕え、さながら相棒のように村井貞勝と仕事を共にします。

信長が家督を継いだ後、敵対関係にある相手との交渉の使者として村井貞勝と島田秀満は度々派遣されることが多く、その意味でも信長からとても信頼されていたことが伺えます。

足利義昭を京都に上洛させ将軍として擁立してからも、村井貞勝とともに奉行として京都の統治を行いました。

その後、足利義昭が信長に対して対立するようになると、島田秀満はその間を行き来する使者として活動します。

そんな織田信長と足利義昭とのパイプ役を務めた島田秀満については、下記の記事でも紹介していますのでこちらも併せて読んでみて下さい。

おすすめ
no image
島田秀満とはどんな人なのか解説!織田信長との関係や経歴についても

織田信長に仕えた有名な家臣といえば、多くがその武功によるところが多く、合戦での武勇伝を語られることが多いですよね。 しかし、実は織田信長の家臣は奉行などの吏僚の人材も豊富で、その一人が島田秀満という人 ...

続きを見る

 

松井友閑:信長に茶の湯を教えた堺奉行

松井友閑はもともと足利将軍家に仕えていましたが、1565年に13代将軍の足利義輝が「永禄の変」で三好三人衆らに暗殺されてしまうと、以降は織田信長に右筆として仕えるようになりました。

右筆とはもともとは武士に変わって代筆したり文章を作成する人のことを言いましたが、松井友閑はやがて対外的な交渉も行うようになります。

その後、信長が商業都市の堺を治めるようになると、松井友閑はその堺の代官に就任し統治を任されるようになりました。

堺の商人の千利休や津田宗及・今井宗久らの影響もあったのか、松井友閑は「茶の湯」に精通しており、信長に茶の湯を勧め指導した人物だったとも言われています。

「茶の湯」は信長のよって政治的に利用されることにもなりましたが、その手ほどきをしたとされる松井友閑は一体どんな人物だったのか?

それについては下記の記事でご紹介していますので、こちらもぜひ読んでみて下さい。

おすすめ
no image
松井友閑とは何者?織田信長に仕え堺代官となった経歴や関係性について解説!

戦国時代というと、武士の戦働きによる活躍が注目されますよね。 特に織田信長は数々の合戦を行い、その戦略や戦術のほか活躍した武将のエピソードが度々語られます。 しかし、織田信長のもとで活躍していた家臣は ...

続きを見る

 

武井夕庵:信長に物申した恐れ知らずの右筆

武井夕庵は、元をたどると美濃の守護・土岐家に仕えていましたが、その美濃を斎藤道三が下剋上によって乗っ取ると斎藤家に仕え右筆として重臣の一人に数えられました。

その後、その斎藤道三の息子・義龍、孫の龍興に仕えていましたが、織田信長が斎藤家を滅ぼし美濃を制した際にそのまま信長の元に仕えることになったのです。

武井夕庵は信長の元でも右筆として活動しながら、一方で羽柴秀吉(豊臣秀吉)とともに中国地方の毛利家と外交交渉にもあたっていました。

右筆としての職務以外にも合戦後などにその状況を調査する検視を行ったり、必要とあらば奉行や特使も務め様々な場面で武井夕庵は活躍し、織田信長からの信頼も厚かったようです。

この武井夕庵は、ただ織田信長の命令に従っているだけの人物ではなく、比叡山焼き討ちの際は信長に対し異を唱えて諌めようとするなど、はっきりと意見を言う人物だったようです。

こうした信長に意見したというエピソードは他にもあり、それらは下記の記事でまとめていますので、怖いもの知らずの武井夕庵とはどんな人物なのか気になった人はこちらも読んでみて下さい。

おすすめ
no image
武井夕庵の織田信長の右筆としての経歴や人柄は?安土城の屋敷のエピソードについても解説!

織田信長は目立った活躍がなければ、いくら長く仕えていても容赦なく切り捨てるという厳しい一面がありますよね。 ですから多くの家臣は、面と向かって意見を述べることはできなかったことでしょう。 そんな中、武 ...

続きを見る

 

 

織田信長の官僚(吏僚)の序列は?仕事内容はきつかった?

さて、信長の官僚は家臣団の中での序列はどうだったのでしょうか?

また、その仕事内容はどんなものだったのか解説していきます。

官僚(吏僚)の家臣団の中の序列は?

織田信長の家臣といえば合戦で活躍した武将が有名ですが、名だたる武将に並んでこうした官僚(吏僚)を高く評価していたようです。

その一例として、天正3年7月3日に信長は朝廷から官位昇進の勅諚をいただき、それを辞退するものの、その代わりに主だった家臣に官位を賜ることを願い出ます。

この時に官位を賜った家臣は下記のとおりです。

  • 松井友閑・・・宮内卿法印
  • 武井夕庵・・・二位法印
  • 村井貞勝・・・長門守
  • 明智光秀・・・惟任日向守
  • 簗田広正・・・別喜右近大夫
  • 丹羽長秀・・・惟住
  • 塙直政・・・・原田備中守
  • 羽柴秀吉・・・筑前守

こうしてみると、信長がいかに官僚(吏僚)の活躍が重要であったかを理解し、武将と同等の序列に扱われていたことがわかると思います。

特に重要拠点と位置づけていた京都と堺を統治していた村井貞勝と松井友閑は、こうした官僚のなかでも序列は最高位とみなされ、この二人と同じく官位を授けられた武井夕庵がそれに続くかっこうでしょうか。

 

官僚の仕事内容とはどんなものだったのか?きつい仕事で体を壊す人も

織田信長に仕えた代表的な官僚(吏僚)をご紹介してきましたが、その仕事内容とはどんなものだったか簡潔にまとめると次のように大別できると思います。

  • 奉行としての職務:御所や城などの普請、領内の寺社との折衝など。
  • 右筆としての職務:文書の発給や合戦の記録など。
  • 外交交渉の職務:他家の武将との外交交渉や、朝廷・将軍家との交渉の窓口など。

織田信長といえば、数々の合戦を勝ち抜いて天下を取るほどの勢力拡大をした印象がありますが、一方であまり表舞台には登場しないこれらの官僚の有能さも実は信長を支えた大きな要因でした。

しかしながら、こうした官僚の仕事は全国各地の武将のもとへ使者として飛び回り、数々の合戦の記録を行うなど相当な激務だったと推察できます。

信長の官僚の筆頭格で京都所司代を務めた村井貞勝は、あまりの激務の為たびたび体調を崩し、数日間癒えなかったこともあったそうです(兼見卿記)。

晩年はその激務に耐えられぬと判断したのか、出家して隠居の生活を送る道を選びました。

このように、信長は優秀な人材は高く評価するものの、その分とことん仕事を任せていたわけですね。

その反面、その活躍が不十分だと判断するや、いくら長く仕えていた家臣だったとしても容赦なく切り捨てることもありました。

その代表的な例を下記の記事でまとめていますので、こちらも参考にしてみて下さい。

おすすめ
織田信長から佐久間信盛への手紙(折檻状)の内容は口答えが原因?温泉で転落死のエピソードについても

引用:Wikipedia 佐久間信盛は織田信長の父・信秀の時代から織田家に仕え、信長の家臣団の中では古参の武将でした。 しかし、長年仕えてきたにも関わらず、突然織田家からの追放を言い渡されてしまいます ...

続きを見る

おすすめ
no image
林秀貞はなぜ織田信長に追放されたか理由を解説!反旗を翻した稲生の戦いについても

織田信長の父・信秀の頃から織田家の重臣として仕えた林秀貞は、信長の家臣団の中でも古参の人物です。 ところが、長年重臣として信長に仕えていたにも関わらず、突然追放を言い渡されてしまいました。 はたしてな ...

続きを見る

 

 

まとめ

織田信長が尾張一国からの仕上がり天下統一を視野に入れるま勢力を拡大できたのは、明智光秀や羽柴秀吉(豊臣秀吉)を始めとする武将の活躍が目立ちますが、実は裏方で織田家を支える官僚(吏僚)の存在も大きかったことがわかってもらえたと思います。

織田信長の数々の合戦の逸話やエピソードもさることながら、こうしたちょっと違う視点から見てみるとより深く織田信長という人物を知ることができますね。

ちなみに、この記事は下記の『織田信長家臣人名辞典』を参考にまとめました。

こちらの辞典は、なんと総勢1458名の信長の家臣を網羅しており、信長をより深く知る上では一生物の一冊と言えます。

かなり高額ではありますが、こちらの改定前の第1版は売り切れて買えなかったという人もいるほどなので、興味を持たれた方はお早めにご購入いただいたほうがよいでしょう。

『織田信長家臣人名辞典』ご購入はこちらから 

ちなみに、この辞典の著者で織田信長研究の第一人者として有名な谷口克広氏のデジタル書籍『歴史群像デジタルアーカイブス』が、U-NEXTに登録すれば何冊か無料で読むことができます。

こちらはテーマごとに書かれていて、内容が絞ってあるぶんお手頃で読みやすくなっています。

「織田信長についてもう少し掘り下げてしりたいな」と思っている人にはおすすめですよ。

 

U-NEXTの無料トライアルはこちら 

この機会に、お得に織田信長についての知識を深めるお手伝いができたら嬉しいですね。

 

鬼滅の刃と日本神話

1

日本最古の歴史書『古事記』の物語に登場するイザナギ(男神)とイザナミ(女神)は、日本の国土を創造し、そこに住む神様を産み出した夫婦の神様です。 次々と子供となる神様を産み、火の神「カグツチ」(漢字表記 ...

2

人気漫画「鬼滅の刃」は、実は日本最古の歴史書『古事記こじき』の日本神話と深い関係があります。 この記事では、そもそも『古事記』とは何なのかということや、その『古事記』の日本神話と「鬼滅の刃」との関係に ...

3

人気漫画「鬼滅の刃」に登場する元・音柱の宇髄天元(うずいてんげん)は、自分で「祭りの神」と言っていますが、実は本当に「祭りの神」なのかもしれません。 というのも、日本神話に登場する、とある神様が宇髄天 ...

4

「鬼滅の刃」に登場する錆兎と真菰の正体は、実は日本の神話「因幡の白兎」なのかもしれません。 「それって一体どういうこと?」と思った人はぜひ読んでみて下さい。 「因幡の白兎」のあらすじも紹介しながら、そ ...

5

「鬼滅の刃」の最大の黒幕・鬼舞辻無惨の側近とも言える上弦の肆の鳴女の正体は、実は鳥の雉(キジ)です。 どういうこと?と思った人は、その理由を書いていますのでぜひ読んでみて下さい。 ※あくまでも筆者の考 ...

6

「鬼滅の刃」の物語の序盤で、炭治郎は錆兎との戦いを通して見事に大きな岩を斬り、鬼殺隊の最終選別へと向かいました。 この錆兎との印象的な戦いは、もしかしたら戦国時代の剣豪・柳生宗厳(石舟斎)(やぎゅう ...

7

大人気漫画の「鬼滅の刃」で鬼殺隊の伝令係として隊員のパートナーである鎹烏(カスガイカラス)は、もしかしたら初代神武天皇のパートナーとも言える八咫烏(ヤタガラス)が元ネタなのかもしれません。 なぜそう言 ...

8

「鬼滅の刃」の鬼舞辻無惨の元ネタは「古事記」の神話に登場イザナミなのかもしれません。 イザナミって何?それってどういうこと?と気になった人はぜひ読んでみて下さい。   目次1 イザナミ(伊邪 ...

9

ついに最終巻が発売された『鬼滅の刃』。 予想外の最終回に驚いた人は数え切れないでしょう。 そして、なんと言っても驚いたのが鬼舞辻無惨がまさかの巨大な赤ちゃんのような姿に化けたことですよね。 誰もが「な ...

-戦国時代
-,

Copyright© やおよろずの日本 , 2024 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.