戦国時代

河尻秀隆とはどんな人物か解説!本能寺の変での悲惨な最期や織田信長の黒母衣衆筆頭の経歴についても

2020年7月11日

引用:Wikipedia

織田信長に仕えた家臣は数しれずいますが、明智光秀や羽柴秀吉(豊臣秀吉)といった人物の逸話やエピソードが強烈なあまり、その影に隠れてしまった優秀な武将も少なくありません。

そうした、実はすごい武将なのに影に隠れてしまった武将の一人に河尻秀隆という人物がいます。

そんなあまり知られていない織田信長の家臣として活躍した河尻秀隆についてご紹介します。

 

織田信長の黒母衣衆筆頭を務めた河尻秀隆とは?

臣従 織田家(信秀 / 信長 /信忠)
出生地 尾張国愛知郡岩崎村
生没年 大永7年(1527年)~天正10年(1582年)
主な戦歴 天文11年(1542年) 小豆坂の戦い
永禄3年(1560年) 桶狭間の戦い
元亀元年(1570年) 姉川の戦い
元亀3年(1572年) 岩村城の戦い
天正3年(1575年) 長篠の戦い

河尻秀隆は尾張国で生まれ、若くして織田信長の父・信秀に仕えた武将です。

その後、信秀の跡を継いだ信長に仕え馬廻衆として活躍し、その中でもエリート中のエリートとされる黒母衣衆の筆頭に名を連ねます。

その活躍が認められ、信長の嫡男・信忠が家督を継ぐと、その信忠の補佐役として主に武田家との争いで活躍しました。

このように、河尻秀隆は織田家三代に仕えた古参のエリート武将だったのです。

 

馬廻衆・黒母衣衆とは?

河尻秀隆が信長の家臣時代に務めた馬廻衆とは、その名の通り戦場で大将の馬の周りを固める武将のことで、その重要な役回りから武勇に優れた人物が選ばれました。

現代で言えば、政治家などの要人を警護するSPのような存在ですね。

織田信長はとりわけ馬廻衆の強化に力を入れ、その馬廻衆や小姓の中からも選抜して「黒母衣衆」「赤母衣衆」という馬廻衆のエリート集団を形成しました。

この「黒母衣衆」「赤母衣衆」が作られた初期の顔ぶれを見ると、「黒母衣衆」は馬廻衆の中から選抜され、「赤母衣衆」は小姓の中から選抜された者が多く、どちらかと言えば「黒母衣衆」の方が格上として位置づけられていたようです。

河尻秀隆はその「黒母衣衆」の筆頭となり、まさに織田家の中では一番のエリート武士だったと言えますね。

初期の黒母衣衆 10名 初期の赤母衣衆 10名
河尻秀隆 前田利家
佐々成政 浅井新八
中川重政 木下雅楽助
津田盛月 伊藤清蔵
毛利新助 岩室重休
水野帯刀 山口飛騨守
平井久右衛門 佐脇良之
伊藤武兵衛 毛利秀頼
松岡九郎次郎 飯尾尚清
生駒勝介 長谷川橋助

『高木文書』による永禄二年(1559年)頃のメンバー

 

 

織田家三代(信秀・信長・信忠)に仕えた河尻秀隆の戦歴・エピソードを解説!

それでは、黒母衣衆の筆頭にまでなった河尻秀隆の戦歴やエピソードについて簡単にご紹介しましょう。

織田信秀に仕えた頃の河尻秀隆の戦歴

尾張の織田信秀は三河をめぐって、今川・松平連合とたびたび争いが起こりました。

この両者の争いは「小豆坂の戦い」と呼ばれ、天文11年(1542年)と同17年(1548年)の二度に渡って繰り広げらます。

河尻秀隆はこの第一次「小豆坂の戦い」に16歳の若さで参戦し、敵将を打ち取る戦功をあげました。

なお、河尻秀隆は続く第二次の合戦も参戦していたようです。

 

織田信長時代の河尻秀隆の戦歴やエピソード

信秀の死後、信長が織田家の家督を継ぎますが、弟の信勝が謀反を起こして対立するようになります。

二人の家督相続争いは「稲生の戦い」という争いに発展し、この戦いでは信長が勝利し敗れた信勝は赦免されたものの、再び信長に謀反を起こそうと画策していました。

これを知った信長は、病を装って見舞いにきた信勝を清州城で殺害してしまいます。

この時、実際に刀をとって信勝を殺害したのが河尻秀隆だった言われています。

その後、永禄3年(1560年)に織田信長が今川義元を破った「桶狭間の戦い」や、浅井長政・朝倉義景の連合軍と戦った元亀元年(1570年)の「姉川の戦い」などにも参戦し、その武勇は織田信長に高く評価されました。

また、武田家との争いが表面化してくると、河尻秀隆は東美濃の岩村城へと派遣され武田方の将・秋山虎繁(信友)と攻防を繰り広げます。

 

織田信忠の補佐役として武田家との戦いに参戦

天正元年(1573年)頃、織田信長は対武田作戦の一環として信忠軍団が形成されると、河尻秀隆はその補佐役として信忠に仕えるようになります。

武田家との争いが本格化し、天正3年(1575年)に起こった「長篠の戦い」にも信忠のもとで参戦します。

その時、信長が河尻秀隆に兜を渡しながら、信忠にむかって河尻秀隆の下知に従って戦うように命じたという逸話が残っています。

このエピソード真偽のほどは不明ですが、それほどまでに河尻秀隆を信頼して信忠の補佐役に任命していたことが伺えますね。

「長篠の戦い」の後も河尻秀隆は東美濃に置かれ、引き続き武田方の秋山虎繁と岩村城を巡って争い、ついにこの岩村城を奪い返すことに成功しました。

以後は、謀反を起こした荒木村重を討伐の為、摂津の「有岡城の戦い」に参戦するなど、要所で河尻秀隆の活躍はみられます。

 

武田家討伐に活躍する河尻秀隆

天正10年(1582年)頃になると、いよいよ武田家も弱体化し、信長は一気に武田家討伐にのりだします。

信長は信忠軍を先発させると、先鋒を森長可と団忠正が務め、河尻秀隆もそれに従軍しました。

この武田攻めに際し、信長は河尻秀隆に対して、信忠や森長可・団忠正らが若さにまかせて軽率な行動を取らぬよう制御してほしい、という内容の手紙をしきりに送っていたそうです。

このことからも、歴戦のつわ者として信長から信頼されていたことがわかりますね。

なお、この武田攻めに際し河尻秀隆はわずか1日で高遠城を落とし信長から大いに称賛され、その功績から穴山信君の領地を除く甲斐22万石と信濃諏訪郡を与えられました。

こうして、信秀の代から織田家に仕えた河尻秀隆は、その功績が認められて甲斐一国の大名となったのでした。

 

 

「本能寺の変」の影響を受けた河尻秀隆の悲惨な最期

「本能寺の変」によって全てが狂ってしまった

天正10年(1582年)に武田家が滅亡し、3月にはその領地であった甲斐22万石の大名となった河尻秀隆ですが、その栄光はすぐに崩れ去ってしまいます。

というのも、同年6月に明智光秀が「本能寺の変」を引き起こすと、それを受けて武田家の残党が一揆を扇動し、甲斐の国は大混乱に陥ってしまったのです。

これに対し、織田方の同盟者であった徳川家康は家臣の本多信俊を使者に遣わし、河尻秀隆の安全を考慮して上方に戻ることを進言します。

しかし、これはどさくさに紛れて甲斐を奪い取ろうとする徳川家康の罠だと判断し、この本多信俊を殺害してしまいました。

その後、河尻秀隆は激しさを増す甲斐の一揆勢に襲われ殺害されてしまいました。

しかも甲斐の国から恨みを買っていた為、河尻秀隆は逆さまに埋葬されたという逸話も残っています。

河尻秀隆は長年織田家に仕え、ようやく一国の主として栄光をつかんだわけですが、「本能寺の変」によってわずか数ヶ月ではかなく散り、最期は悲惨な運命をたどってしまいました。

もし「本能寺の変」が起こっていなければ、信長からの信頼も厚かった河尻秀隆は、もっと歴史の表舞台に登場していたかもしれませんね。

 

甲斐の一揆を扇動し河尻秀隆を殺害した黒幕は徳川家康だったのか

徳川家康は「本能寺の変」の際に京都にいて、命からがら伊賀の山を越えて逃げたとされています。

その時、同行していたはずの穴山信君は途中ではぐれて残党狩りに殺されたという不自然な死に方をしています。

「本能寺の変」が発端となって、甲斐・信濃を治めていた河尻秀隆と穴山信君は亡くなったわけで、こうした状況をみると徳川家康が裏で色々と画策していたのではないか?とも考えられますよね。

歴史学の世界でも、この甲斐の一揆を扇動したのは徳川家康だったという見方が強く、河尻秀隆はそれを察知したが為に殺されてしまったのではないかとも考えられます。

 

まとめ

  • 河尻秀隆は織田家三代(信秀・信長・信忠)に仕えた古参の武将。
  • 河尻秀隆は馬廻衆から黒母衣衆の筆頭になり、様々な合戦で戦功を収めた。
  • 信忠の補佐役として武田家攻略に尽力した。
  • 武田家滅亡後に甲斐一国を任されるが、「本能寺の変」により一揆が起こり殺害されてしまう。

ちなみに、織田信長の家臣は武将以外の官僚(吏僚)も人材が豊富でしたが、こうした人物についてもあまり知られていませんね。

影に隠れた織田信長の家臣について、さらに詳しく知りたい方はぜひ下記の記事も参考にしてみて下さい。

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