初代神武天皇のことは比較的知られていると思いますが、続く第二代綏靖(すいぜい)天皇のことを知っているという人はほとんどいないでしょう。
しかし、この第二代綏靖天皇はなんと「食人していた」という驚くべき噂があります。
さらに、神武天皇のあとの皇位継承をめぐって兄を殺害しており、実は第二代綏靖天皇には強烈なエピソードがあるのです。
この記事では、そんな強烈なエピソードがある第二代綏靖天皇について解説しています。
目次
陰謀を企てた兄を殺害して即位した第二代綏靖(すいぜい)天皇を家系図から解説!
初代神武天皇の崩御後、皇位継承をめぐる問題が起こります。その皇位継承問題について、家系図を参照しながら解説していきます。
第二代綏靖天皇の家系図
- 父・・・初代神武天皇
- 母・・・伊須気余理比売(イスケヨリヒメ)
- 兄弟
・日子八井命(兄:ヒコヤイノミコト)
・神八井耳命(兄:カムヤイミミノミコト)
・多芸志耳命(腹違いの兄:タギシミミノミコト) - 妻・・・河俣毘売(カワマタビメ)
「綏靖天皇」というのは崩御後に名付けられた諡号(しごう)で、本名は神沼河耳命(カムヌナカワミミノミコト)といいます。
神武天皇と伊須気余理比売との間に生まれた3兄弟の末っ子です。
なお、神武天皇と伊須気余理比売の結婚については、とても面白いエピソードがありますので、こちらも併せて読んでみて下さい。
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陰謀を企てた腹違いの兄の殺害:兄弟間での皇位継承問題について解説
神武天皇が崩御された後、皇后・伊須気余理比売とは別の女性との間に生まれた多芸志耳命は、義理の母である伊須気余理比売を妻に迎えます。
現在では考えられない結婚ですが、当時は近親者で結婚することも珍しくはなかったようです。
ただ、この伊須気余理比売との結婚は、多芸志耳命が権威を強調する為の政略結婚であったようです。
さらに多芸志耳命は、腹違いの3人の兄弟を殺害してしまおうと陰謀を企てます。
その陰謀に気づいた伊須気余理比売は、実の息子たちに対して歌を詠んでそのことを伝えました。
それを聞いた3兄弟の末っ子・神沼河耳命(綏靖天皇)は、すぐ上の神八井耳命に「兄上、あなた様が多芸志耳命を殺して下さい!」と、やられる前にやってしまおうと進言しました。
ところが兄・神八井耳命は武器を取りますが手足がブルブル震えてしまい、多芸志耳命を殺害することはできないでいました。
その様子を見ていた神沼河耳命(綏靖天皇)は、兄に代わって武器を取り多芸志耳命を殺害したのです。
こうして多芸志耳命の陰謀から難を逃れると、兄・神八井耳命は「私は敵を殺すことはできなかった。お前はそれを見事にやってのけた。だから天皇にはお前がなれ。私はその手助けをすることにしよう」と言って神沼河耳命(綏靖天皇)に皇位継承権を譲ったのです。
こうして兄弟間での争いが決着し、3巨大の末っ子・神沼河耳命が第二代綏靖天皇として即位したのです。
なお、長男の日子八井命は皇位継承に関心がなかったのか、この騒動にはまったく登場しません。
『古事記』には「3人いる場合はなぜか一人だけ存在感が薄い」という謎の都市伝説があります(笑)下記の記事参照
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14世紀南北朝時代の「神道集」という書物にある綏靖天皇の「食人伝説」について解説!
14世紀の南北朝時代に、仏教宗派のひとつ安居院唱導教団という集団が編纂した「神道集」とい書物の一節に、綏靖天皇が食人していたという記述があります。
それによると、綏靖天皇は朝と晩で1日に7人食べていたとされ、それを見た家臣達は自分たちにも危険が及ぶかもしれない、ひいてはこのまま綏靖天皇が食人を続ければ、いずれ人類が滅んでしまうかもしれないと危険を感じていたとあります。
そこで家臣達は「近いうちに火の雨が降る」とデマを流し、「避難してもらう為」と偽って綏靖天皇を岩屋に幽閉してしまった、というのが「食人伝説」の内容です。
もしこれが本当だったらとても恐ろしい話ですよね。
ただ、この「食人伝説」が書かれた「神道集」が編纂された時代は南朝と北朝に分かれて天皇が二人いたという混乱期で、一方の王朝を陥れる為のネガティブキャンペーンの一種だったのではないかと思います。
日本の正式な歴史書である『古事記』や『日本書紀』にはもちろんそのような記述はありませんし、「残虐過ぎて意図的に削除された」と言う人もいるようですが、それなら残虐な行いをしたとされる他の天皇の記述の説明がつきません。結論としては単なる「都市伝説」のひとつでしょう(笑)
だいたい14世紀の人が1000年以上前の古代の天皇のことを書いている時点で嘘くさいですよね(笑)
現代の私達が、1000年以上前の平安時代以前の天皇の伝説を書いても、誰も本当だとは思わないでしょう?それと同じことです(笑)
そもそも1人の人間が1日に摂取する食事の量を考えてもありえませんよね(笑)
桃花鳥田丘上陵という墓もある綏靖天皇は実在しないのか?
綏靖天皇の墓は奈良県の橿原市にあり、「桃花鳥田丘上陵(つきだのおかのえのみささぎ)」という陵墓名にもなっています。
中世の戦乱期には荒廃して所在が不明となり、幕末期までは他の場所が御陵墓とされていましたが、明治11年(1878年)に現在の場所が綏靖天皇陵とされました。
円墳状であるものの、古墳であるかどうかは明らかになっていませんでしたが、平成29年(2017年)の調査で古墳の可能性が高いと推測されました。
つまり日本国としては、綏靖天皇は実在した人物として扱われているわけですが、歴史学者の間ではほとんど事蹟の記録が無いことなどから、綏靖天皇は実在しないとする意見もあります。
日本の正式な歴史書である『古事記』や『日本書紀』には、第二代綏靖天皇から第九代開化天皇までの八代にわたる天皇について、具体的にどんなことをしたのかは書かれていない為、「欠史八代(けっしはちだい)」と呼ばれています。
この「欠史八代」については、後世の人によって作り出された架空の存在であり実在しなかったという見方もされています。
はたして真相はどうなのか?それは今後のさらなる考古学の進展によって明らかになるかもしれませんね。
さて、今回ご紹介した第二代綏靖天皇についてはほとんどの人が知らないと思います。
ですが、あくまでも噂の域をでませんが「食人伝説」があったり、兄を殺害して天皇になったという逸話もあり、実は怖いエピソードを持つ天皇だったのです。
このように、あまり知られていませんが、実は日本の歴史書『古事記』や『日本書紀』には怖いエピソードがたくさんあります。
怖い話や都市伝説などが好きな人は、こういった観点から『古事記』や『日本書紀』を読んでみるのもいいかもしれません。
また、反対に意外と面白いエピソードもたくさんありますので、お口直しにこちらの記事も読んでみて下さい。
「日本の神様ってこんなに変なの?」とある意味怖いお話とも言えますよ(笑)
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