新しい天皇が即位され、令和の時代になりました。
日本人であれば、生まれた時から「天皇」という存在はあるので、当たり前のように呼んでいますが、実はもともとは「天皇」という呼び方はしていませんでした。
では、いったいいつから「天皇」という称号が使われるようになったのか?
この記事ではそのことについて書いています。
目次
天皇はいつから存在しているのか?
そもそも天皇はいつから存在しているかというと、日本最古の正式な歴史書である「日本書紀」によれば、紀元前660年(令和元年から2679年前)から存在しています。
その年に、初代神武天皇が現在の奈良県で即位したのが天皇の始まりです。
ただし「日本書紀」は養老4年(西暦720年)に編纂された歴史書で、本当に紀元前660年前だったかどうかは意見が分かれています。
また、初代神武天皇とはいうものの、実際は「天皇」という称号は使われていませんでした。
その根拠は、埼玉県の稲荷山古墳から発見された鉄剣に「ワカタケル大王(オオキミ)」と書かれ、西暦471年を示す年号が書かれていたからです。
なお、この「ワカタケル大王」は、第21代雄略天皇のことであるとされています。
「天皇」の称号はいつから使われているか?
西暦608年に、聖徳太子が隋(今の中国)に送った国書の中に「東の天皇、つつしみて西の皇帝にもうす」という記述があり、これが「天皇」という称号が使われるようになった始まりだとされています。
そして、西暦600年代後半の天武天皇の頃には「天皇」の称号が定着し令和の現代に至っています。
つまり「天皇」の称号の歴史は約1400年続いていることになります。
初代神武天皇の即位の年や、歴代の天皇のなかには実在したかどうか疑問視する意見もあります。
ですが、確実な史料としてこの隋との外交文書があるので、間違いなく「天皇」は1400年以上前から存在していたことがわかります。
そして、世界を見渡しても1400年続く国はないことからも、「天皇」が存在し続ける日本が、世界最古の国であることは間違いありません。
なぜ「天皇」という称号を使うようになったのか?
埼玉県の稲荷山古墳から発見された鉄剣でもわかるとおり「天皇」の称号が使われる前は「大王(オオキミ)」という称号でした。
では、なぜ「大王」から「天皇」に称号が変わったのでしょうか?
中国(当時の隋)と対等な関係であり、独立した国であることを示したかったから
日本は弥生時代から朝鮮半島南部の任那(みまな)と交易を行っていたとされます。
ところが、6世紀の後半に高句麗や新羅が対立すると、そのあおりを受けて任那は新羅に滅ぼされます。
その結果、朝鮮半島での日本の権益も奪われる恐れがでてきました。
そこで、日本が中国と対等な関係を築くことで、中国の属国である朝鮮半島の国々よりも上位に立ち、それを防ごうとしたのです。
もともと「大王」という称号は、中国の王朝から与えられた称号であり、対等の立場をとるならば称号を変える必要があったのです。
また、日本国内においても蘇我氏や物部氏、大伴氏おいった「大臣(おおおみ)」「大連(おおむらじ)」という身分の豪族が台頭してきていました。
そこで、これらの豪族の上に立つ存在として、よりインパクトのある称号が必要であったとされています。
中国の皇帝の称号と区別する必要があったから
西暦608年に聖徳太子が中国に送った国書で初めて「天皇」の称号が使われました。
実はその前年607年に、遣隋使の小野妹子が届けた国書のなかに「日いずる国の天子」と記述していました。
それまでの「大王」から「天子」という称号にかえていたわけです。
ところが、隋の皇帝・煬帝は「天子」という表現は中国の皇帝にのみ許される称号であって、属国とみなしている日本が使うことは許せませんでした。
なので「天子」という表現はするな、と国書で返答します。
中国と対等の関係を目指す日本にとって、「大王」では中国の属国扱いから抜け出せず、かと言って「天子」では中国を怒らせてしまう。
そこで考え出されたのが「天皇」という称号であったのです。
つまり、中国と対等な関係を目指しながらも、中国の皇帝とは区別する為に生みだされたのが「天皇」という称号だったのです。
いかがでしょうか。何気なく呼んでいる「天皇」という称号についてわかっていただけたでしょうか。
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