明智光秀が織田信長を討った「本能寺の変」は、なぜ起こってしまったのかその真相は謎に包まれていて様々な説がありますね。
数ある「本能寺の変」の真相のなかで、実は公家の近衛前久が黒幕だったという説もあります。
この記事では、その近衛前久が「本能寺の変」の黒幕説について解説しています。
目次
近衛前久とはどんな人物なのか簡単に解説!
まずは近衛前久とはどんな人物なのか、「本能寺の変」にいたるまでの概略をご紹介します。
わずか18歳で天皇に次ぐ関白に就任する
天文5年(1536年)に公家の近衛稙家の長男として誕生し、元服の際には叔母の夫である12代将軍・足利義晴から「晴」の文字を貰い受け「晴嗣」と名乗りました。
天文23年(1554年)、近衛前久がわずか18歳の時に、当時は天皇に次ぐ高い官職であった関白に就任します。
その翌年には将軍・足利義晴からもらった「晴」の文字を捨て「前嗣」と名乗りました。
越後の上杉謙信が京都に上洛した際に、上杉謙信が関東を平定することを期待して盟約を結びます。
この頃に名前を前久に変え、花押を公家様式から武家様式に変えるなど、公家でありながらも武士に近い存在として活躍するようになります。
足利義昭との対立:足利義輝殺害の疑いをかけられて朝廷から追放される
永禄7年(1564年)に三好三人衆によって13代将軍・足利義輝が殺害されてしまいます。
彼らは自分たちを擁護してくれる存在を探しており、近衛前久に目をつけて頼ってきました。
さらに、自分たちの推す足利義栄を次期将軍に任命してもらえるよう迫り、その圧力に勝てなかった近衛前久はこれを認めます。
その後、織田信長が足利義昭を上洛させて将軍に就かせると、足利義昭は「いとこの関係にありながら三好三人衆に加担した。これは裏で近衛前久が兄の足利義輝殺害を指示していたに違いない」として近衛前久を糾弾して朝廷から追放してしまいます。
これにより近衛前久は関白の座も奪われ、赤井直正や本願寺を頼って京都を落ち延びます。
近衛前久と織田信長は仲がよかった?:二人の関係を簡単に解説
やがて近衛前久を追放した足利義昭と織田信長の関係が悪化すると、身を寄せていた本願寺も足利義昭と組んで織田信長に対立する立場をとります。
近衛前久はもともと織田信長に対する敵意はなかった為、本願寺を去り京都に戻ることを許されます。
その後は織田信長と鷹狩りという共通の趣味もあったことから親交を深め、織田信長の意向にそって九州の大友氏・伊東氏・相良氏・島津氏らの和議の調停などを行いました。
さらに天正8年(1580年)には、長らく続いた織田信長と石山本願寺との戦いを終結させる調停を取結びます。
この近衛前久の働きには、今まで頭を悩ませていた織田信長も称賛し「天下平定の暁には近衛家に一国を献上する」という約束をしたと言われています。
このように、近衛前久と織田信長の仲は良好で持ちつ持たれつの関係にあったようです。
近衛前久が「本能寺の変」の黒幕とする説を織田信長や明智光秀との関係から解説!
さて、近衛前久が「本能寺の変」の黒幕とする説についてご紹介します。
近衛前久が「本能寺の変」の黒幕説の発端:明智光秀との関係を解説
明智光秀が「本能寺の変」を起こしたのち、「本能寺を攻撃した明智光秀軍が近衛前久の邸宅から銃撃していた」という噂が流れ、信長の三男の信孝や豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)から激しく問いただされます。
このことが「近衛前久が実は黒幕だったのではないか」と言われる所以でもあります。
近衛前久と明智光秀のつながりを示す具体的な資料があるかどうかわかりませんが、明智光秀は細川藤孝や公家の吉田兼見などと連歌会や茶会を行っていたようで、こうした人脈から近衛前久ともなんらかの接点があったと思われます。
そうしたつながりがあったからこそ、明智光秀と裏で企んでいたに違いないと思われてしまったのではないでしょうか。
近衛前久が「本能寺の変」の黒幕説の背景や理由を織田信長との関係から解説
近衛前久が「本能寺の変」の黒幕であるという説は、お伝えした噂によるものだけではありません。
「本能寺の変」の前年に織田信長と朝廷との間で「三職推任問題」というものが起こり、それがこの黒幕説につながっているのです。
どういうことか?
近衛前久をはじめとする朝廷側が織田信長に対して「太政大臣」「関白」「征夷大将軍」という官職のいずれかに就任することを勧めますが、織田信長は一向にこの提案にのろうとしませんでした。
これらの官職に就任することは国内での権力を手にすることでもあり、普通に考えれば喜んで引き受けるはずです。
ただ、一方でこれらの官職に就任することは「朝廷から授かる」という意味もある為、朝廷の権威を高めることにもなるわけです。
つまり、この織田信長の態度は「天皇や朝廷の権威も超えようと思っているのか?」という疑念に変わっていき、それを怖れた朝廷側の近衛前久が密かに明智光秀を通じて暗殺を指示したのではないか?という憶測が生まれたのです。
これが近衛前久が黒幕だという理由で、織田信長と朝廷との関係が背景にあったわけです。
ただ、実際は織田信長は朝廷に対して経済的支援を行っており、その権威を使って本願寺との調停を取り付けるなど、お互いにとってメリットのある友好関係にあり、この説は信憑性に乏しいと考えられています。
大河ドラマ「麒麟がくる」では本郷奏多演じる近衛前久と織田信長の関係が見どころ
大河ドラマ「麒麟がくる」では近衛前久役を本郷奏多が演じることになります。
史実では近衛前久は織田信長と仲が良かったとされる一方、ご紹介したように「実は本能寺の変の黒幕だった」とする説もあります。
「麒麟がくる」では、本郷奏多演じる近衛前久と染谷将太演じる織田信長の関係はどのように描かれるのか、ということも見どころになりますね。
ちなみに「麒麟がくる」で近衛前久が初登場するのは永禄7年(1564年)の頃ですが、それ以前の一時期に関東にいたことがあります。
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登場人物の関係性など、ドラマでは描ききれなかった裏側についても書いていますので、さらに深く楽しみたいと思った人はこちらも併せて読んでもらえると嬉しいですね。
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