麒麟がくる

土岐頼芸と斎藤道三(利政)の家系図からなぜ対立していたのか理由と関係性を解説!

2020年4月12日

戦国時代においては、どこの国でも主導権を争って対立する構図はありました。

美濃においては、斎藤道三(利政)と土岐頼芸がまさにその構図のとおり主導権を争っていたわけですが、どうしてこの二人が争うようになったのか気になる人もいると思います。

そこで、この記事では二人が争うようになった理由について、土岐家の家系図をもとに解説していきます。

斎藤道三(利政)と土岐頼芸・土岐頼純の対立の経緯を解説!

斎藤道三と土岐頼芸が対立するようになった経緯を道三が土岐家の家臣になった頃からさかのぼって解説していきます。

油売りから土岐政房に重用される:兄の頼武と対立し、弟の頼芸と手を組む

室町幕府が誕生してから、将軍家の足利氏から任命された守護が行政官として各地の統治を行っていました。

美濃の国は清和源氏の流れをくむ土岐家が代々守護をつとめていました。

その美濃の地で油売りをして評判になっていた斎藤道三(利政)は、武士に転身してからはあれよという間にのし上がり、当時の守護であった土岐政房に気に入られるようになります。

土岐政房には気に入られたものの、その子であった土岐頼武は斎藤道三を毛嫌いしており、お互いに相容れない関係となっていました。

油売りからのし上がり、美濃を自分のものにしようと目論む道三にとって頼武の存在は邪魔でしかありません。

しかし、政房が亡くなると家督は頼武が継ぐことになった為、それに危機感を覚えた道三は弟の頼芸と組んで頼武の排除を企てます。

そして大永7年(1527年)に、ついに道三は頼武を急襲して越前に追いやり、自らを支持する頼芸を美濃の守護の座に就かせたのです。

このように、実は道三と頼芸はもともとはお互いに利害が一致する友好関係にあったのです。

頼武の子供・頼純との対立:土岐頼満の毒殺による頼芸との対立の経緯

道三と頼芸が手を組んで頼武を美濃から追放してしばらくは良好な関係にあったようですが、一方で追放された頼武の子である頼純は虎視眈々と復讐の機会を伺っていました。

そして天文4年(1535年)に朝倉氏や六角氏の後援をえた頼純と頼芸・道三は激しく激突し、美濃全土を巻き込む騒動へと発展してしまいます。

この時は将軍のとりなしでことは治まりましたが、道三と頼純の確執は決定的になりました。

その後、道三は手を組んでいたはずの頼芸の存在も邪魔となった為、親しい者から排除していこうと考え始めます。

すると天文10年(1541年)に、道三は頼芸の弟の頼満を毒殺してしまい、これに激怒した頼芸は道三との対立は決定的になります。

その後道三と頼芸は衝突を繰り返しますが、道三が頼芸の居城・大桑城に攻め込むと、それに屈した頼芸は尾張へ逃げ落ちました。

 

斎藤道三(利政)による土岐頼純の毒殺と土岐頼芸の追放

斎藤道三によって美濃を追放された頼芸と頼純は、それぞれ尾張の織田信秀と越前の朝倉孝景のの後援を得て美濃へ侵攻し、それにより美濃へ戻ろうと画策していました。

しかし、この戦いは頼純が守護に就くことを条件に和睦という形で事態はおさまります。

ところが、道三を排除したい頼純は織田信秀と通じて再度攻め入りますが、圧倒的な数的不利にもかかわらず道三が織田信秀軍を打ち破ります。

その年、頼純は謎の病にかかって急死してしまいますが、あまりにも不審で状況的にみて道三が毒殺したものと考えられています。

※「麒麟がくる」では茶に毒を盛って殺害したシーンが印象的でしたね。

一方、土岐頼芸も織田信秀と通じて道三に敵意を示していましたが、あろうことか頼りとしていた織田信秀と斎藤道三が和睦したことで後ろ盾を失います。

その後、織田家と今川家の争いが激化するにつれ、織田家と同盟関係を結んだことで飛び火することを危惧した家臣に責められ、道三の求心力が低下してくると、それに乗じて頼芸が一矢を報いようとします。

しかし、再び道三に敗れ、頼芸は再び美濃を追放されることになったのです。

 

 

斎藤道三(利政)と土岐頼芸はなぜ対立していたか理由を解説!

ご紹介したように、斎藤道三と土岐頼芸はもともと「土岐頼武を排除する」という目的が一致して手を組んでいました。

しかし、あくまでも自分が支配したいという思惑から土岐家を完全に排除しようと考えるようになり、頼芸の弟・頼満を毒殺したことが対立の引き金となったようです。

土岐頼芸としても、清和源氏の流れをくむ土岐家のプライドがあったでしょうし、武家でもない一介の油売りの商人であった斎藤道三に乗っ取られて、傀儡のような扱いをされるのは不本意だったに違いありません。

こうした二人の思惑やプライドが対立関係を生み、結果として斎藤道三が美濃を乗っ取ることに成功したわけです。

こうした非道なやり方から斎藤道三は「美濃のマムシ」と呼ばれており、生い立ちから美濃を乗っ取るまでの経緯は下記の記事でご紹介していますので、こちらも併せて読んでもらえると更に斎藤道三のことがわかると思います。

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土岐頼芸を追放したことで、代々美濃を治めてきた土岐家を排除することに成功した斎藤道三ですが、あまりにも強引なやり方であったので美濃の国内ではとても評判が悪く、最終的にはそれがアダとなって身を滅ぼすことになります。

「美濃のマムシ」という呼び名や「戦国三大梟雄」の一人とされ悪名高い斎藤道その最期については下記の記事でご紹介しています。

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