日本の神話は、歴史書の『古事記』と『日本書紀』を読めば知ることができます。
どちらも8世紀前半の同じ時期に編纂された歴史書ですが、書かれている神話の内容が違います。
どこがどう違うのか?よく知られるヤマトタケルなどの神話の内容から比較してみました。
目次
『古事記』と『日本書紀』神話・伝説の内容の違い
神話あらすじの違い1. イザナギ・イザナミのケンカと「黄泉の国」の記述が無い
『日本書紀』では、イザナギとイザナミは多くの島と神様を生んだ仲のいい夫婦として描かれています。
ところが、『古事記』では火の神様を生んだ時にイザナミは重症を負い、それが原因で死んで「黄泉の国」へと行ってしまいます。
悲しんだイザナギは後を追って「黄泉の国」へと向かいますが、そこにいたのは変わり果てた姿のイザナミでした。
その姿を見たイザナギは逃げ出し、姿を見られたイザナミは怒ってイザナギを殺そうと追いかけます。
逃げ切ったイザナギはイザナミに向かって離婚を宣言し、イザナミはその言葉にさらに激怒して罵声を浴びせます。
このように、イザナギとイザナミは『日本書紀』では円満な夫婦として描かれますが、『古事記』では激しいケンカの末、悲惨な離婚をしています。
神話あらすじの違い2. アマテラスオオミカミの誕生について
『日本書紀』では、イザナギとイザナミの夫婦の間にアマテラスオオミカミが誕生しますが、『古事記』ではアマテラスオオミカミが生まれる前に離婚しています。
ではどのようにして生まれたのかというと、イザナギがイザナミと離婚して「黄泉の国」から戻ったあと、その穢れ(けがれ)を清める為に禊(みそぎ)をしている時に生まれたのです。
イザナギが禊をしていると、身につけていた衣服や飾りなどから続々と神様が生まれ、左目を洗っているとそこから誕生したのがアマテラスオオミカミです。
なお、右目からツクヨミノミコト、鼻からスサノオノミコトが生まれ、この3柱の神様を「三貴子」と呼びます。
このように、アマテラスオオミカミは『日本書紀』ではイザナギ・イザナミの夫婦の子として誕生し、『古事記』ではイザナギの左目から生まれたことになってます。
神話のあらすじの違い3. 出雲大社に祀られる神様・オオクニヌシの神話「因幡の白兎」などが無い
『日本書紀』では、スサノオの「ヤマタノオロチ退治」のあと、ニニギノミコトの「天孫降臨」神話へと続きます。
一方、『古事記』ではスサノオの「ヤマタノオロチ退治」のあとは出雲大社に祀られる神様・オオクニヌシの神話へと続きます。
オオクニヌシは『古事記』での名前で、『日本書紀』ではオオアナムチとされ、スサノオとクシイナダヒメの子供となっています。
『古事記』ではオオクニヌシはスサノオの6代あとの子孫とされていて、関係性も異なります。
さてそのオオクニヌシは、よく知られている神話「因幡の白兎」で、うさぎを助けた神様として有名です。
『古事記』ではその「因幡の白兎」の他にもオオクニヌシが主人公の神話がいくつかあり、やがて国を造った神様として描かれています。
ところが『日本書紀』では、『古事記』で描かれるこれらのオオクニヌシの神話がスッポリ抜けています。
神話のあらすじの違い4. 初代神武天皇の「神武東征」神話
初代神武天皇は、九州から遠征して奈良県の大和地方で初代天皇として即位しました。
これを「神武東征」といいます。
『日本書紀』では、敵対するナガスネビコとの戦いにおいて、光輝く金鵄(金色のトビ)が現れて神武天皇の弓にとまり、その輝きによって敵の兵士の目をくらませました。
そのおかげで戦いに勝利することができたので、金鵄は勝利を導く象徴とされました。
また、神武天皇を描いた絵画は、この金鵄とともに描かれることが多く、神武天皇を象徴する神話です。
ところが『古事記』では、敵対するナガスネビコとの場面を「久米歌」という和歌で表現しているだけで、具体的な戦いのシーンは記されておらず、金鵄も登場しません。
神話のあらすじの違い5. 英雄・ヤマトタケルの伝説
ヤマトタケルは、第12代景行天皇の息子で実在の人物です。
『古事記』では「倭建命」と表記し、『日本書紀』では「日本武尊」と表記します。
※正式には「ヤマトタケルノミコト」ですが、ここでは「ヤマトタケル」とします。
ヤマトタケルを一言で説明すると、九州や関東へ遠征し、大和政権の拡大に貢献した英雄です。
『古事記』におけるヤマトタケルは、強いけれど、実の兄を無残に殺害してしまうほどの残虐性が描かれています。
その為、その残虐性を恐れた父の景行天皇が、ヤマトタケルを追放する口実として遠征に向かわせたのです。
ヤマトタケルもその意図に気づき、故郷の大和へ帰ることなく悲しみのうちに最期を迎えます。
このように『古事記』では、悲劇の英雄としてヤマトタケルの神話は描かれています。
一方の『日本書紀』では、実の兄を殺害したということは書かれておらず、強くて勇敢な皇子として描かれます。
そもそも、九州へは父の景行天皇が先陣をきって遠征したことになっていて、その一部としてヤマトタケルの活躍が書かれています。
また、関東への遠征は自ら進んで向かい、父の景行天皇もその勇敢さを称賛しています。
このように『日本書紀』では、よくできた勇敢な皇子としてヤマトタケルの神話は描かれています。
『古事記』と『日本書紀』ではどっちが古いのか?
『古事記』と『日本書紀』は、ともに8世紀の前半に編纂された日本の歴史書です。
教科書などでも『古事記』と『日本書紀』はひとまとめに『記紀』とも呼ばれます。
同じ時代に編纂された歴史書ですが、では、どっちが古いのでしょうね?
- 『古事記』・・・712年(和銅5年)に完成
稗田阿礼(ひえだのあれ)に、それまでの記録を暗誦させ、太安万侶(おおのやすまろ)がまとめ上げました。
第40代天武天皇が作成を命じましたが、作業は中断されたままとなりました。
711年9月から再開し、約4ヶ月後の712年1月に完成しました。 - 『日本書紀』・・・720年(養老4年)に完成
第40代天武天皇が川島皇子(かわしまのみこ)・忍壁皇子(おさかべのみこ)らに編纂を命じ、その後約40年間作業が続けられ、最終的に天武天皇の子・舎人親王らが完成させました。
『日本書紀』は、日本最初の「正史」(国家が編纂した正式な歴史書)です。
上記のとおり、『古事記』のほうが完成したのは古く、日本最古の歴史書と呼ばれます。
ただ、約4ヶ月でまとめられた『古事記』と40年間編纂作業が続けられた『日本書紀』では、当然ながら分量も違います。
『古事記』は全3巻で第33代推古天皇までの内容に対し、『日本書紀』は全30巻で第41代持統天皇までの内容が収録されています。
また、江戸時代後期の国学者・本居宣長が『古事記』にスポットライトをあてるまでは、正史の『日本書紀』の方が重要視され、『古事記』はその副読本のような扱いだったとされます。
つまり、古いのは『古事記』ですが、威厳があるのは『日本書紀』といえるでしょう。
『古事記』と『日本書紀』では、なぜ神話の内容が違うのか
ここまでご紹介したように、『古事記』と『日本書紀』では神話の内容が違う点があります。
ではなぜ違うのかというと、
『古事記』は国内向け、『日本書紀』は海外向け(主に唐:中国)という編纂方針の違いがあったからです。
どういうことかと言うと、『古事記』は神話を中心に書かれ、天皇は神様の子孫であることに重点がおかれています。
それにより『古事記』は、天皇家の正当性を国内に誇示することが目的であったとされています。
一方の『日本書紀』は、神話の部分は一部に限られ、全30巻のうちの大半は天皇の実績・記録で占められています。
当時の日本は律令国家として成熟している段階で、独立国家として認められる為に、その国の正式な歴史書・正史を編纂する必要がありました。
その為、物語としての神話よりも、記録としての天皇の実績などに重点を置いた正史として『日本書紀』が編纂されたのです。
2020年は『日本書紀』編纂1300年の年
『古事記』と『日本書紀』の完成年をご紹介しましたが、2020年は『日本書紀』編纂から1300年の記念の年です。
2012年が『古事記』編纂から1300年の年だったので、それにともなって神社にスポットライトがあてられるようになり、御朱印を集める人も増えました。
また、その当時から『古事記』がブームとなり、書店では『古事記』を扱った本が増えました。
ただ、このように『古事記』を扱った本はけっこうありますが、『日本書紀』を扱った本は多くありません。
なので、『古事記』と『日本書紀』では神話がどのように違うのかわからない人は多いのではないでしょうか?
そこで、神話の違いを知るためにも、わかりやすい漫画で解説した本をご紹介します。
2020年は『日本書紀』編纂1300年の記念すべき年です。
これをきっかけに、『古事記』とは一味違う『日本書紀』にふれてみてはいかがでしょうか。