『千と千尋の神隠し』で最後に千尋が元の世界に戻る時に、集められた豚の集団の中から両親を探し出す場面がありますよね。
湯婆婆はこの豚の集団の中から探しだすように千尋に言いますが、千尋はこの中に両親はいないと答え、見事にこの問題をクリアしました。
それによって千尋は晴れて両親と共に元の世界へと戻ることができたわけですが、はたしてなぜ湯婆婆のひっかけ問題を見抜くことができたのでしょうね?
そんな疑問を解消すべく、この記事ではなぜ千尋は最後の場面で豚の集団に両親がいないのとわかったのか、その理由について探っています。
同じように疑問を持った人はぜひ参考にしてみて下さい。
※油屋にいる時は「千」という名前ですが、ここでは「千尋」で統一します。
目次
『千と千尋の神隠し』最後になぜわかった?親を見抜けた理由を考察
最期の場面で、豚の集団の中に両親がいないことを見抜けた理由はいくつかの説があげられています。
その中から代表的なものをご紹介していきましょう。
両親との絆があったから
一つ目は千尋と両親の間に家族の絆があったから見抜けたというものです。
湯婆婆がネズミに変えられた坊の姿を見抜けなかったのと対照的に描かれ、湯婆婆とは違って千尋には家族を思う気持ちがあった為、たとえ姿を姿を変えられたとしても見抜けたというわけです。
ただ、物語の序盤の両親と千尋の関係を見ると、母親は千尋に対して冷たい印象がありますし、千尋もやや反抗的な態度をとっているので、あまり絆が深いようには思えないんですよね。
両親の豚には髪の毛が生えていたから
続いては、集められた豚の中に髪の毛が生えた豚がいなかったからというものです。
確かに、神様のための料理を食べて豚になってしまった時は、両親ともに髪の毛が生えた豚の姿でした。
その為、集められた豚の中に特徴的な髪の毛の生えた豚がいないのだから見抜けて当然というわけです。
ただ、油屋で働くことになった後、ハクと共に両親が入れられたという豚舎に行くと、両親の豚も髪の毛がなくなっていた為、千尋は見分けがつきませんでしたよね。
となると、髪の毛が生えていたかどうかで見抜けたというわけではなさそうですね。
川の主にもらった不思議な団子を食べたから
千尋は、当初腐れ神と思われていた川の主の神様を救い出したことで、不思議な団子をもらいましたよね。
この不思議な団子は、大きく膨れ上がって暴走したカオナシを元の姿に戻したり、瀕死の状態にあったハクを復活させたりと、様々な効力を発揮しています。
その不思議な団子を千尋もかじっていますから、その団子の効果で湯婆婆の魔法も見破る能力が身に付き、最後の場面で見抜くことができたのだという説もあります。
確かに、これだけ様々な効果があるわけですから、湯婆婆の魔法を見破る能力がついてもおかしくはないですね。
銭婆にもらった髪留のおかげ
物語の終盤で千尋が銭婆のところへ行くと、帰りがけに不思議な髪留めをもらいました。
そして、油屋に戻って銭婆の問題に臨んだわけですが、実は銭婆はこうなることを見越して髪留めに魔法をかけておき、そのおかげで千尋は豚の集団の中に両親がいないことを見抜くことができた、という説もあります。
確かに、これなら時系列でもつじつまが合いますし、あえて銭婆が髪留めを千尋に渡したことの意味もわかります。
こうして考えると、この髪留めの効果が豚の集団に両親がいないことを見抜けた理由にふさわしい気がしてきますよね。
千尋が経験を積んで成長したから
さて、この最後の豚の集団のなかから親を当てるシーンについて、宮崎駿監督は下記のように語っています。
最後の豚の集団をみて、千尋がお父さんとお母さんがそこにいないとなぜわかったのか説明していない。理論としておかしいと、説明を求めるタイプの人たちがいる。
でも、僕はそういうのを大事だと思っていないから。これだけ経験を経てきた千尋は両親がいないことがわかる。なぜわかるか、でもわかるのが人生ですよ。それしかないんですよ。
そんなにここが欠けていて、あそこが欠けていてって、指摘ができるなら、観客が自分で埋めればいいんだから。僕はそんなところに無駄な時間を費やしたくないんですよ。
この言葉を読むと、千尋が見抜けた理由は理屈ではない、経験を積んだからこそわかるものだ、ということにでしょうか。
宮崎駿監督は『千と千尋の神隠し』という作品は「10歳の少女が世の中ともいうべき中へ投げ込まれ、修行し、友愛と献身を学び、智恵を発揮して生還する物語」と言っています。
つまり、千尋が油屋での生活を通じて成長したからこそ、本質を見抜く力が養われたんだということになるのではないでしょうか。
ただ、宮崎駿監督の言葉を借りれば、最終的には観ている人が自分で考えることで、正解はないということなんでしょうね。
ラストで豚の集団の中から親を当てるシーンをおさらい
さて、ここで今一度ラストで豚の集団の中から親を当てるシーンをおさらいしておきましょう。
坊を連れ戻すことを条件に、湯婆婆は千尋と両親を元の世界に戻すことをハクと約束します。
そして、千尋はハクとともに銭婆のもとから戻ると、千尋は両親と一緒に帰れるはずでしたが、湯婆婆はただでは帰そうとしません。
豚を集めてきて、「この中から両親を選べ。ピタリと当てられたら自由にさせてやる」と千尋に迫ったのです。
そして千尋は両親を探してそこにいる豚を眺めますが、千尋は「ここには両親はいない」と答えたのでした。
千尋がそうこたえると、なんとそれが正解で湯婆婆の持っていた千尋の契約書は消え去り、晴れて千尋は自由の身となり両親とともに元の世界へ帰ることができたのです。
それにしても、最後までひっかけ問題をだすなんて、湯婆婆はあまりにも意地が悪いですよね。
ただ、そんなひっかけ問題も難なくクリアしてしまったわけですから、それだけ千尋が成長したということの証でもありますね。
まとめ
- 『千と千尋の神隠し』のラストで豚の集団の中から両親がいないことがわかった理由はいくつかの説がある。
- 宮崎駿監督はこの理由については千尋が成長したからと語っている。
- 一方で、特に明確な理由はなく、観た人の考えで埋めればよいとも語っている。
当ブログでは『千と千尋の神隠し』にまつわる記事をいくつか掲載しています。
興味のある方はこちらの記事もぜひ参考にしてみて下さい。
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