令和2年の1月頃から新型コロナウイルスの感染拡大が続き、不安な毎日をすごしていますよね。
日本の歴史を振り返ると、今よりもさらに深刻な疫病の蔓延があったようです。
この記事では、日本の古代の歴史で蔓延した疫病についてご紹介しています。
もしかしたら現代ににも通じる対策ができるかもしれませんよ。
目次
日本の歴史で古代最古の疫病は第10代崇神天皇の時代:崇神天皇について簡単に解説!
日本の歴史書『古事記』や『日本書紀』で古代最古の疫病の歴史は第10代崇神(すじん)天皇の時代
日本最古の歴史書である『古事記』の記録で、一番最初に疫病の記録が書かれているのが第10代崇神天皇の時代です。
古代の天皇の年代は定かではありませんが、3世紀中頃~4世紀前半に実在したとされています。
その記録によれば、当時疫病が大流行し、人口の約半分はこの疫病によって死んでしまい、今にも絶えてしまいそうな程だったようです。
疫病が大流行した当時の第10代崇神天皇とはどんな人物なのか?家系図から解説
さて、それでは第10代崇神天皇とはどんな人物だったのか?家系図も含め簡単に解説します。
なお本名は御真木入日子印恵命(みまきいりびこいにえのみこと)といい、「崇神天皇」というのは後世の人が名付けた諡号(しごう)です。
- 父・・・第9代開化天皇
- 母・・・伊迦賀色許売命(いかがしこめのみこと)
- 妻・・・御真津比売命(みまつひめのみこと)
- 子・・・伊玖米入日子伊沙知命(いくめいりびこいさちのみこと:第11代垂仁天皇)
崇神天皇以前の第9代開化天皇までは『古事記』や『日本書紀』にはほとんど記録がありません。
ところがこの崇神天皇の時代から様々な記録が記されるようになり、疫病が収束してからの後は人々の生活も安定し豊かになりました。
これを称えて崇神天皇のことを「初国知らしし御真木天皇(みまきのすめらみこと)」と呼びました。
ただこの呼名は「初国知らしし」という言葉と、初代神武天皇にも同様の呼び名があることなどから、「初代の天皇は実は崇神天皇であり、それ以前の天皇は後世の創作ではないか」という意見もあります。
古代の天皇については確たる文献が無いため、実在したかどうかは解明されていません。
疫病の正体は三輪山の疫病神・大物主神の祟り?古事記の伝説からその対策を解説!
人口の約半分もの人が死んだとされるこの疫病はどうして発生してしまったのか?そしてこの疫病に対して崇神天皇はどういう対策をしたのか?
結論から言ってしまうと、この疫病の正体は大物主神(オオモノヌシノカミ)という神様の祟り(たたり)で、崇神天皇のとった対策としては神頼みです(笑)
現代に応用できるかどうかは別として、この時の様子を解説していきます。
疫病の正体・三輪山の大物主神の祟りとその対策として崇神天皇がとった行動を解説
崇神天皇はこの疫病について悩み、神牀(かむとこ)という夢で神様に助言を求める為に清めた寝床で眠ると、その夢に出てきたのが大物主神でした。
その夢の中で大物主神は「この疫病は私の御心だ。意富多多泥古(オオタタネコ)に我が御魂を祀らせなさい。そうすれば神の祟も起こらず、国は安らかに治まるだろう」と言いました。
すると崇神天皇はさっそくそのオオタタネコを探し出します。
そしてついに河内の美努村(現在の大阪府八尾市あたり)という所で見つけると、すぐに大物主神を祀るように祭主として任命しました。
すると、すっかり疫病は止み、国は安らかに治まったのです。
なぜオオタタネコが祀ると大物主神の祟りは収まったのか:三輪山伝説から解説
オオタタネコは大物主神と活玉依比売(イクタマヨリビメ)という女性との間に生まれた息子の息子の息子の息子、つまり男系の子孫です。
大物主神は初代神武天皇の義理の父でもありますが、自分を祀るのは男系の血筋の人物でなければならなかったようで、それが祟りを引き起こした原因と考えられています。
これは天皇が行う祭祀も同様の事があてはまり、天皇が代々男系の血筋で続いてきたのも「祭祀は男系の血筋の者が行う」という伝統を守るという要素もあるようです。
令和2年以降、女系天皇についての議論も進めるといった一部報道もありましたが、それに呼応するかのようにコロナウイルスの感染拡大が続いています。
もしかしたら大物主神の祟りなのかもしれませんね。
さて、大物主神と活玉依比売の間には「三輪山伝説」という面白いエピソードがありますので、簡単にご紹介します。
活玉依比売はとても美しい女性で、ある晩その活玉依比売のもとにとてもハンサムな若い男が現れました。
すると二人は惹かれ合い、そのまま一夜を共にしました。
その後も毎晩そのハンサムな男がやって来て、気づくと活玉依比売は妊娠していました。
結婚もしていないはずの活玉依比売が妊娠したことに驚いた両親は、「なんで結婚もしていないのに妊娠したんだ?」と問い詰めると、活玉依比売は「ハンサムな男の人が毎晩やって来て、一緒に過ごしているうちに自然と妊娠しました」と、ことの経緯を説明しました。
両親はその男がどんな男なのか知りたくなり、活玉依比売に「赤土を床に撒いて、糸巻きに巻いた麻糸を針に通し、その針を男の衣服の裾に刺しなさい」と言い、糸をたどってその男の居所を突き止めようとしました。
活玉依比売はさっそくその通りにして翌朝見てみると、麻糸は三勾(みわ:3巻の意味)だけ残して戸の鍵穴を通り、三輪山の神の社へと続いてたのです。
こうして、活玉依比売のもとにやって来た男は三輪山の大物主神であることがわかったのでした。これが「三輪山伝説」と呼ばれるもので「三輪」と「三勾」を掛けたちょっと不思議な物語です(笑)
ちなみに三輪山の大物主神は美しい女性に目がない神様のようで、活玉依比売以外の女性のもとにも突然押しかけて行っています。
そのエピソードは下記の記事で紹介していますが、とんでもないアプローチの仕方なのでぜひ読んでみて下さい(笑)
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さて、日本の歴史上最古の古代の疫病は、第10代崇神天皇の時代の大物主神の祟りによるものでした。
令和2年の1月から感染が拡大している新型コロナウイルスへの対策としては参考にならなかったかもしれません。
ただ、これ以上被害が拡大しない為に神社にお祈りに行くのであれば、三輪山の大物主神が祀られている大神(おおみわ)神社に参拝に行くといいかもしれませんね。
なお、この大神神社は日本最古の神社とも言われる特殊な神社で、三輪山を御神体としており本殿がありません。
また、鳥居が三つ合わさったような珍しい三ツ鳥居でも有名です。
さて、今回ご紹介した疫病の原因でもあり祟り神とも言える大物主神は、活玉依比売とのエピソード以外でも『古事記』や『日本書紀』で度々登場します。
そしてその多くのエピソードで様々なものに化けて登場し、とても不思議で面白いエピソードばかりです。
「歴史書」というと堅いイメージがありますが、このように実は『古事記』や『日本書紀』は面白いエピソードが満載です。
いくつか面白いエピソードを下記の記事で取り上げてみましたので、気になった人はぜひ読んでみて下さい。
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