長い歴史を誇る日本の国技・相撲は、野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹴速(たいまのけはや)という人物の戦いが始まりだとされています。
その戦いについては日本最古の正史(国家の正式な歴史書)『日本書紀』に書かれています。
漫画「バキ道」に登場する二代目野見宿禰は、この『日本書紀』に登場する野見宿禰が元祖です。
この記事では、その『日本書紀』に記された初代野見宿禰について書いています。
目次
「バキ道」の野見宿禰と当麻蹴速との伝説の戦いが記されている『日本書紀』について簡単に解説!
まずは野見宿禰と、当麻蹴速との伝説の戦い記された『日本書紀』について、簡単に解説していきます。
日本で最初の伝説の相撲取り・野見宿禰とは?
野見宿禰は、天皇の先祖の神様・天照大御神が生んだ天穂日命(あめのほひのみこ)の14世子孫とされていて、第11代垂仁天皇に仕えていたとされます。
もともとは出雲の国にいましたが、後述する当麻蹴速と戦う為に大和の地へ向かい、この戦いの後に垂仁天皇に仕えるようになりました。
野見宿禰はただの怪力の持ち主というだけではなく、当時の殉死の風習をやめる為に、代わりとなる埴輪(はにわ)を考案した人物でもあります。
なお、「宿禰(すくね)」というのは古代の称号のひとつで、同じく第11代垂仁天皇に仕えた、武内宿禰(たけうちすくね)という人物もいます。
野見宿禰の伝説が記された『日本書紀』とは?
『日本書紀』は西暦720年(養老4年)に、舎人親王らによって編纂された日本最古の正史(国家の正式な歴史書)です。
西暦681年に天武天皇の発案によって編纂が開始され、約40年かけて完成しました。
『日本書紀』の内容は、日本の成り立ちの神話から第41代持統天皇までの事蹟が全30巻にまとめられています。
同時代に編纂された『古事記』と併せて『記紀』と呼ばれますが、その違いについては下記の記事でまとめたので、こちらを参考にしてみて下さい。
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「バキ道」にも描かれた相撲の原型・野見宿禰と当麻蹴速の戦いを『日本書紀』の伝説から解説!
バキ道の第1話から描かれている野見宿禰と当麻蹴速。
漫画の中でも描かれている二人の対決は、現在にも続く相撲の原型となった戦いとされています。
この二人の戦いについて、『日本書紀』の伝説から解説していきます。
第11代垂仁天皇のもとに側近がやってきて、当麻蹴速という荒くれ者がいて「この世に俺に並ぶ強い者はいないだろう。強い者に会って、命をかけて力比べがしたいものだ!」と豪語していると伝えました。
その言葉を聞いた垂仁天皇は、「誰か当麻蹴速に並ぶ強い者を知らないか?」と、周囲の側近達に尋ねました。
すると側近の一人が「出雲の国に野見宿禰という者がいるので、連れてきて当麻蹴速と戦わせましょう」と言いました。
こうして、出雲の国から野見宿禰が到着し、いよいよ当麻蹴速との戦いが始まりました。
二人は向かい合って立ち、足を上げて蹴り合いになりました。
しかし、あっという間に野見宿禰が当麻蹴速のあばら骨を折り、腰を踏み折って殺してしまいました。
この戦いに勝った野見宿禰は、死んでしまった当麻蹴速の持っていた土地を与えられ、そのまま垂仁天皇に仕えることになったのです。
なお、この土地には「腰折田」という地名があり、それは当麻蹴速の腰が折れてしまったことから名付けられました。
この野見宿禰と当麻蹴速が日本で最初の相撲とされ、勝者の野見宿禰が最初の相撲取りと言われるようになったのです。
埴輪の提案者でもある野見宿禰と垂仁天皇の関係を紹介!
野見宿禰は日本で最初の相撲取りとされていますが、それだけではなく埴輪(はにわ)の風習をつくった人物でもあります。
そのことについても『日本書紀』に記されているので、簡単にご紹介します。
当時は皇族が亡くなると、仕えていた人や親しかった人を、生きたまま一緒に埋めて殉死させる風習があったそうです。
垂仁天皇の弟が亡くなった時も、その風習に従って臣下の人達を殉死させました。
しかし、そのことに心を痛めた垂仁天皇は、今後はこの殉死の風習をやめようと考えました。
時が経ち、皇后・日葉酢媛(ひばすひめ)が亡くなると、垂仁天皇は殉死に代わる方法を模索して悩んでいました。
その時、野見宿禰が出雲の国の土部(はにべ:焼き物を作る技術者)に人や馬の形の焼き物を作らせ「今後はこの土物(はに)を墓の周りに立てることにしましょう」と垂仁天皇に提案しました。
垂仁天皇はこの野見宿禰の提案を心から喜び、皇后・日葉酢媛の墓に初めて土物を立てたのです。
これが埴輪の風習の始まりとされ、その功績を称えて「土部臣(はじのおみ)」の姓を野見宿禰に与えました。
そしてこの事がもとになり、野見宿禰の子孫の土師氏(はじし)一族は、歴代の天皇の葬儀を司ることになったのです。
『古事記』では記されていない野見宿禰
ご紹介した日本の最初の相撲取り・野見宿禰の伝説は『日本書紀』には記されていますが、『古事記』には記されていません。
というのも、『古事記』は神話の部分に重点が置かれているので、天皇に関する内容はかなり限定されているからです。
『古事記』と『日本書紀』の違いについては、下記の記事でまとめていますので、併せて読んでみて下さい。
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今回ご紹介した野見宿禰以外にも、『古事記』では記されていない人物や伝説は多々あります。
2020年は『日本書紀』編纂1300年の年です。これをきっかけに『日本書紀』に触れてみてはいかがでしょうか。
なお、今回ご紹介した野見宿禰と当麻蹴速の戦いはマンガ遊訳 日本を読もう わかる日本書紀1 神々と英雄の時代に書かれています。