第12代景行天皇の跡を継いだのは、第13代成務天皇こと、息子の若帯日子命(ワカタラシヒコノミコト)です。
この記事では、知られざる第13代成務天皇についてご紹介します。
目次
第13代成務天皇の系図:ヤマトタケルとの関係
上記の系図のとおり、第13代成務天皇は第12代景行天皇の子供で、有名なヤマトタケル(日本武尊・倭建命)の腹違いの兄弟にあたります。
日本の歴史書「古事記」では子供が一人いたと記されていますが、「日本書紀」ではその記述がありません。
おそらく、幼くして亡くなってしまったのではないかと思われます。
子供が80人もいたと言われる父の景行天皇とは全然違いますね。
さて、成務天皇の跡を継いだのは、甥にあたるヤマトタケルの子供の仲哀天皇です。
これまで天皇は自分の子供が跡を継ぐ直系継承が途絶え、傍系継承となりました。
ポイント
何代にも渡り、天皇の実子が跡を継ぐ直系継承がなされてきたので、「天皇は直系継承でなければならない」と思っている人もいるかもしれませんが、大事なのは「男系男子の継承」です。
第13代成務天皇の実績
第13代成務天皇についての実績は下記のとおりです。
- 武内宿禰(タケウチスクネ:古事記では「建内宿禰」)を大臣(おおおみ:宮廷で最高位の臣に対する尊称)にした。
- 大小の国々の国造(くにのみやつこ)を定めた。
- 国々の境界、大小の県(あがた)の県主(あがたぬし)を定めた。
「古事記」と「日本書紀」を併せても、第13代成務天皇にまつわる記述はこのくらいしかありません。
先代の景行天皇の時代に、ヤマトタケルが活躍し東西へ国土を拡大したこともあり、その整備に努めたと考えられます。
古代の歴史書は、大きな戦いがあれば大きく取り上げるので、特別大きな記述がないということは、それだけ平和だったと言えるでしょう。
成務天皇の兄弟のヤマトタケルとは?
腹違いの兄弟のヤマトタケルのほうが、成務天皇よりも知名度は高いでしょう。
ですが、そのヤマトタケルについても、あまりよく知らない人は多いと思います。
ヤマトタケルについては、「古事記」と「日本書紀」でだいぶ人物像がことなりますが、よく知られる「古事記」の物語からヤマトタケルを一言で表すと「悲劇の英雄」と言えます。
その生涯は戦いに明け暮れ、最後は山の神の怒りを買い、それがもとで都に帰ることができず、道半ばで死んでしまいます。
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さて、第13代成務天皇の跡を継いだのは、このヤマトタケルの子供で、成務天皇の甥にあたる仲哀天皇です。
この仲哀天皇も、ヤマトタケル同様に悲劇の死を遂げます。
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