麒麟がくる

豊臣秀吉と織田信長の出会いはいつなのか解説!草履取りの逸話についても

2020年4月26日

豊臣秀吉はもともと農民の出身だったと言われたり、下級武士の出身だったとする説もありますが、いずれにしても出生についてはよくわかっていません。

しかし、織田信長の家臣として頭角を現してからは破竹の勢いで出世し、ついには天下人にまで登りつめました。

さて、そんな豊臣秀吉はいつ織田信長と出会ったのか?またいつ頃から出世するようになったのか?

有名な草履取りの逸話も含めて解説しています。

 

豊臣秀吉と織田信長の出会いはいつなのか解説:有名な草履取り逸話を紹介!

豊臣秀吉と織田信長の出会いは1554年頃?

「太閤素性記」という書物によれば、豊臣秀吉は15歳の頃に家を出て針売りなどをして放浪していたそうです。

その後、今川家の末端の家臣である松下家に仕えたのち、1554年頃に織田信長の小者として仕え始めたとされています。

「小者」というのは主に雑用をする武家の奉公人のことで、有名な草履取りの逸話も豊臣秀吉が「小者」であった時代のことだと考えられます。

この頃の織田信長は、まだ尾張の国内で対立する勢力や駿府の今川義元と争っている真っ只中で、見渡せば敵ばかりという状況にありました。

そうした不利な状況下で仕え始めたわけですから、やはり豊臣秀吉には先見の明があったのでしょうね。

ただ、それを証明する記録は無いので、もしかしたら豊臣秀吉に先見の明があったことを強調する為に、この時期から仕えたとしているのかもしれません。

 

豊臣秀吉と織田信長の有名なエピソード「草履を温めておきました」の逸話を紹介

雪の降るある寒い夜の日のこと。

織田信長が外へ出るために草履を履くと温かくなっていました。

寒い夜に草履が温かいことを不審に思った織田信長は、草履取りであった豊臣秀吉に対して「おまえは草履の上に腰掛けていたな、この不届者め!」と怒り出します。

しかし豊臣秀吉は「腰掛けてはおりません」と言うので、織田信長が「温かくなっていたのが何よりの証拠だ」と問いただしました。

すると秀吉は「寒い夜なので御足が冷えていらっしゃるだろうと思い、懐に入れて草履を温めておきました」と答えたのです。

そして豊臣秀吉が自分の胸元を開くと、そこにはくっきりと草履の鼻緒の跡が残っていたのでした。

この豊臣秀吉の行動に感心した織田信長は、豊臣秀吉のことをとても気に入って可愛がるようになったそうです。

なお、この草履取りの逸話は江戸中期以降の『絵本太閤記』に書かれたのが最初で、どうやら後世に創作されたエピソードのようですね。

 

 

豊臣秀吉が織田信長のもとで出世し始めたのはいつ頃か?:墨俣城一夜城伝説を紹介!

草履取り逸話もあるように、豊臣秀吉は小者という雑用係から織田信長に仕え、そこから異例とも呼べる大出世を遂げたわけですが、さていつ頃から出世するようになったのでしょうか。

1564年以降、織田信長と美濃の斎藤龍興との戦いの中で頭角を現す

織田信長の義理の父にあたる斎藤道三が亡くなると、美濃の斎藤家との関係は悪化してゆきます。

やがて織田信長は美濃の国を攻略するために、当時の斎藤家の当主・斎藤龍興と戦いを始めました。

その一連の戦いのなかで、豊臣秀吉は1564年に斎藤龍興方の武将を降伏させたとされ、この頃から武将としての働きが認められるようになります。

また、当時は有力武将しか書状を出すことを許されていませんでしたが、翌年の1565年付で「木下藤吉郎秀吉」と署名のある書状も書いており、この時すでに有力武将の一人となっていたことを物語っています。

 

1566年、一夜で完成させた墨俣一夜城の伝説を紹介

美濃の平定を目指すも攻めあぐねていた織田信長は、長良川の対岸に城を築いて糸口を見出そうと考えました。

そこで家臣に向かって誰かこの城作りをする者はいないか尋ねるものの、強者揃いの美濃の武士を前にして誰もこの城作りに手を挙げませんでした。

ところが、そんな中で豊臣秀吉が名乗りを上げてすぐに城作りに取り掛かると、なんと一夜にしてその城は完成し、それを足がかりとして一気に斎藤家を討ち果たすことに成功したのです。

この城こそ墨俣一夜城で、この功績が認められた豊臣秀吉は、これを機に出世の道を突き進むことになったのでした。

※ただ、この「墨俣一夜城伝説」も真偽の程は定かではありません。

 

 

豊臣秀吉と織田信長の仲は良かった?家系図から関係性を解説!

豊臣秀吉と織田信長は親戚関係?家系図から関係性を解説

織田信長のもとで出世した豊臣秀吉は、信長の一家臣として主従関係にあったわけですが、実はそれだけの関係ではありません。

子供のいなかった豊臣秀吉に対し、織田信長と側室との間に生まれた四男の秀勝を養子に出しています。

これについては諸説あり、血族を優遇していた織田信長が台頭してきた豊臣秀吉と親戚関係を結んで自らの地位を擁護しようとしたという説や、豊臣秀吉の正室のおねが織田信長に頼んだとする説もあります。

いずれにせよ、秀勝を豊臣秀吉の養子にすることで親戚関係を結び、関係性を強めようとしたことは間違いないでしょう。

また、織田信長の実の妹であったお市の方は、同盟関係にあった浅井長政のもとに嫁ぎ、美しいと評判になった「浅井三姉妹」と呼ばれた三姉妹を生みました。

織田信長の死後のことではありますが、豊臣秀吉はその「浅井三姉妹」の長女である茶々を側室として迎えており、このことからも織田信長とは親戚筋にあたると言えるわけです。

なお、のちに茶々は淀殿と呼ばれ、豊臣秀吉の跡継ぎである豊臣秀頼を生んでいます。

 

豊臣秀吉と織田信長の仲は良かったのか?

ご紹介した草履取りのエピソードや「サル」と呼んでいたという逸話などから、豊臣秀吉と織田信長の仲は親しかったと考えられますが憶測の域を出ません。

ただ、前述のように親戚関係を結ぶなど、他の家臣と比べても信頼関係は厚く、単なる主従関係に留まっていたわけではないことは確かですね。

大河ドラマ「麒麟がくる」では織田信長を染谷将太が演じ、豊臣秀吉は佐々木蔵之介が演じています。

どちらも今までとは一味違ったキャスティングで、二人がどのように絡んでいくかも楽しみですね。

 

さて、このブログでは他にも大河ドラマ「麒麟がくる」の時代背景を取り上げた記事を掲載しています。

登場人物の関係性など、ドラマでは描ききれなかった裏側についても書いていますので、さらに深く楽しみたいと思った人はこちらも併せて読んでもらえると嬉しいですね。

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