初代・神武天皇について検索していると、上記のような絵が出てくることが多いですよね。
神武天皇と太陽をイメージした旭日旗のような構図が印象的で、誰の作品なのか気になった人もい多いのではないでしょうか?
この絵は月岡芳年(つきおか よしとし)という浮世絵師の作品で、神武天皇の伝説的なエピソードを描いた作品です。
この記事では、この神武天皇の絵の作者・月岡芳年とはどんな人物なのか?という事と、この絵の元となるエピソードについて書いています。
目次
最後の浮世絵師と言われる作者の月岡芳年とはどんな人物か解説!
月岡芳年の生涯など
- 本名:吉岡米次郎(よしおか よねじろう)※姓はのちに月岡
- 1839年(天保10年)4月30日 ー 1892年(明治25年)6月9日
- 歌川国芳(うたがわ くによし)に師事する
- 歴史絵、美人画、合戦絵など多様な作品を手掛けた浮世絵師
- 血みどろの無残絵も名高く「血まみれ芳年」の異名をもつ
最後の浮世絵師と言われるゆえん
江戸時代末期から明治へと時代が移り変わりゆき、浮世絵の需要が無くなりつつある中で、最も大成した絵師であることから「最後の浮世絵師」と称されています。
同時代の浮世絵師・小林清親も「最後の浮世絵師」と称されていますが、月岡芳年が歴史画や物語画を多く手掛けているのに対し、小林清親は風景画を手掛け、二人の作風は異なっています。
これについては、残り少なくなった浮世絵のともし火を絶やさないように、お互いが得意とする作風を侵さないようにしたのではないか、とも噂されています。
血みどろの絵や武者絵、美人画、歴史画など月岡芳年の様々な作風を解説!
血みどろの無残絵から「血まみれ芳年」の異名を持つ
江戸末期から明治の初年にかけては、凄惨な殺人の場面を描いた血みどろの無残絵(むざんえ)を多く手掛け、その強烈な作品群は文豪の芥川龍之介や谷崎潤一郎、江戸川乱歩などを魅了したと言われています。
1960年代後半には、三島由紀夫が雑誌で月岡芳年の無残絵を称賛したことをきっかけに、「月岡芳年=血まみれの無残絵」というイメージが定着し、その頃から「血まみれ芳年」の異名をもつようになりました。
「大日本名将鑑」などの武者絵や美人画、歴史画も多く手掛けている
「血まみれ芳年」の印象が強く、凄惨な無残絵に焦点をあてられがちですが、実はこれらの作品は初期の一時期だけのものです。
以後は「大日本名将鑑(だいにほんめいしょうかがみ)」に代表されるような武者絵や美人画、歴史画なども多く手掛けています。
ちなみに、上記の絵は明智光秀の逸話の一場面を描いたものなのですが、どういう場面だかわかるでしょうか?
実はこちらは明智光秀が山崎の合戦で豊臣秀吉に敗れた後、敗走しているところを農民が狙っているという場面です。
わかりずらいですが、左端に小さく馬に乗った明智光秀が見えます。
主役がこのような構図で描かれている作品は他にもあり、その独特な表現の仕方もとてもユニークです。
神武天皇と旭日旗のような太陽の絵のエピソードを解説!
神武天皇を描いた上記の作品は、旭日旗のような太陽を背景にしたように見える構図で、とても印象的で目を奪われますね。
さて、この絵は「日本書紀」に書かれている神武天皇の伝説的なエピソードを元に描かれてるのですが、一般的にはあまり知られていないようなので、そのエピソードについて簡単にご紹介します。
神武天皇はもともと九州南部で暮らしていましたが、国を治めるのに適した地を求めて東へと旅立ちます。
途中でいくつかの都を築きながら、神武天皇はとうとう大阪湾までたどり着きました。
ところが、ここで長脛彦(ナガスネビコ)という土着の民が、兵を従えて神武天皇の行く手を阻み、激しい戦いへと発展してしまいます。
この時、神武天皇軍は劣勢を強いられ、一時退却を余儀なくされてしまいます。
一度は長脛彦に敗れたものの、その後和歌山県の方から回り込み、再び長脛彦の軍との再戦に臨みます。
しかし、今度も神武天皇軍は劣勢に立たされてしまいますが、にわかに空は雲が立ち込め大粒のヒョウが降り出しました。
ふと雲の隙間から金色に輝く鵄(とび)が現れると、神武天皇が持っていた弓の上に止まりまったのです。
するとその金色の鵄は稲妻のように光り輝き、長脛彦の軍勢の目をくらませて右往左往しながら大混に陥りました。
この千載一遇のチャンスをものにして、神武天皇軍は一気に攻勢をかけ、とうとう長脛彦軍を退かせることに成功したのでした。
これが上記の絵の背景となるエピソードで、神武天皇を象徴する物語として、他の絵もこの場面を描いたものはたくさんあります。
ただ、筆者の個人的な好みとしては、やはり月岡芳年が描いたこの浮世絵が秀逸だと思います。
月岡芳年が描く「古事記」や「日本書紀」の日本神話の世界を紹介
月岡芳年は、ご紹介した神武天皇だけでなく「古事記」や「日本書紀」に書かれている神話を題材として多くの作品を描いています。
上記の絵はヤマタノオロチと対峙する須佐之男命(スサノオノミコト)を描いたもので、こちらも下記の本の表紙に使われているように、勇猛な須佐之男命を象徴する作品として広く知られています。
このように、難しいと思われがちな「古事記」や「日本書紀」も、絵の魅力を味わうと不思議と内容にも興味が湧いてきたりします。
月岡芳年の作品を味わうとともに、日本神話の世界ものぞいてみてはいかがでしょうか。