2019年7月に大阪の「百舌鳥・古市古墳群」が世界遺産に登録されました。
世界でも最大級の大きさを誇る「仁徳天皇陵」をはじめ、国内でも有数の大きさを誇る巨大古墳が大坂には数多く残っています。
なぜこれほどまでに大阪には巨大古墳が多いのか、その理由を解説しています。
目次
なぜ古墳は作られたのか?その目的と理由を解説!
そもそも古墳がつくられた目的や理由はなんなのか?まずはそんな疑問が浮かんできますよね。
これについては明確な答えが出ているわけではありませんが、現状で考えられいる説をご紹介していきます。
古墳時代の始まりは、纒向遺跡にある卑弥呼の墓とも言われる箸墓古墳
最初に作られたとされている古墳は、奈良県桜井市の纒向遺跡(まきむくいせき)にある箸墓古墳(はしはかこふん)だと言われています。
この箸墓古墳が作られたのは3世紀中頃とされ、第7代孝霊天皇の娘である倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)という人物の墓であるとされています。
しかしこの箸墓古墳は「実際は卑弥呼の墓であろう」という意見もあります。
なぜ古墳は作られたのか?その目的と理由を解説
箸墓古墳は卑弥呼の墓であるという説から、祭司として権力を持っていた卑弥呼を称える目的で箸墓古墳は作られたと考えられています。
そしてその「権力者を称える」という目的が一般化して、大型の古墳が作られるようになったと考えられます。
また、古墳は外敵からの防衛には役に立たないことから、古墳が作られた時代には国をまとめる大王が現れ、争いの無い平和な時代が訪れたと考えられます。
そしてその平和を象徴する意味も込め、国をまとめた大王を称えて古墳が作られたという考え方もあります。
これらを総合すると、古墳が作られた理由は
- 卑弥呼のように権力のあった人物を称える目的で作られた。
- 国をまとめ平和な時代を築いた大王を称える目的で作られた。
といったことが考えられています。
どうして古墳は大きくなったのか?その理由を解説!
古墳のはじまりとなる箸墓古墳の造営以降、古墳は大きくなっていきました。
それではいったいなぜ古墳は大きくなっていったのか?それについて考えられていることをご紹介します。
古墳が大きくなった理由は権力の象徴
古墳が大型化していった理由についても様々な意見がありますが、一般的には権力を象徴する目的だとされています。
巨大な古墳を作る為には多くの物資や人手が必要になるので、それを動員できるほどの権力を持っていたことを示そうとしたというわけですね。
古墳が巨大化していく頃の時代はヤマト政権が成立した時代と重なり、より大きな権力を握っていたことを裏付ける証拠にもなります。
また、巨大な古墳は全国各地にも広がりを見せており、ヤマト政権の統治が全国に広まっていったことも示しています。
古墳の規模で米の生産量を示し、権力の大きさを誇示していた
開拓した水田の規模が大きければ大きいほど残土も大量にでてきます。
その残土を使って古墳を大きくすれば、それだけ生産量も多いということになり、それはすなわちより大きな権力を持っていることを意味します。
現代では生産力の大きさの象徴のひとつとして金融資産の総額などがありますが、古代の日本では古墳の大きさがひとつの目安になっていたとも言われています。
なぜ大阪には大きい古墳が数多く残っているか?その理由を解説!
2019年7月に大阪の「百舌鳥・古市古墳群」が世界遺産に登録されましたね。
世界最大級の仁徳天皇陵をはじめ、大阪には特に大きい古墳が数多く残されています。
ではなぜこれほどまでに大阪には大きい古墳があるのか?それについて解説していきます。
王朝交代があり、河内王朝という王朝が存在したとする説
1960年代に上田正昭ら歴史学者の間で、現在の大阪市のあたりを拠点とする「河内王朝」が、それまで奈良に拠点のあった王朝にとって代わったとする「王朝交代論」巻き起こりました。
新たな王朝の誕生により、それまでの王朝を超える権力があることを示すため、大阪を中心に大型の古墳が誕生したのではないかと考えられます。
しかし、この「王朝交代論」は、その後も奈良に都を置くことも多かったことなどから、現在ではこの説には否定的な意見が多いようです。
朝鮮半島との交易など外交上の理由
日本の正式な歴史書である『日本書紀』によれば、巨大古墳に眠る仁徳天皇や応神天皇の時代は、朝鮮半島との交易も活発になっていたことが記されています。
交易が活発化した大きな要因は、水田開発が進み鉄製の農具が必要となりますが、日本国内では産出されなかった為です。
こうした朝鮮半島との交易の拠点として大阪湾に港が築かれ、往来する渡来人に対しても権力の大きさを示す為、より大きな古墳を作ったのではないかという考え方もあります。
ところで、世界最大級の古墳に眠るとされている第16代仁徳天皇は、善政を行い「聖帝(ひじりみかど)」とも呼ばれています。
しかし一方で恋多き天皇でもあったようで、正妻の皇后からたびたび嫉妬されるエピソードもあります。
この意外な素顔をもつ仁徳天皇については下記の記事で詳しくかいていますので、こちらも併せて読んでみて下さい。
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