日本の正式な歴史書である『古事記』や『日本書紀』には、初代神武天皇から古代の天皇までの歴史が書かれています。
しかし、これらの歴史書にほとんど記録がない為に「欠史八代(けっしはちだい)」と呼ばれる歴代の天皇がいます。
この記事では、『古事記』や『日本書紀』にほとんど書かれていない謎の「欠史八代」について解説しています。
目次
古事記や日本書紀にも詳しい記述がなく謎が多い歴代天皇の欠史八代とは?
「欠史八代」とは、第2代綏靖(すいぜい)天皇から第9代開化天皇までの8代の天皇のことを指します。
日本の正式な歴史書として『古事記』や『日本書紀』があり、これらには日本誕生から神々の神話、そして初代神武天皇から始まる歴代の天皇の事蹟や記録が書かれています。
初代神武天皇については、どのようにして国を治め天皇として即位したのかという事や、結婚にまつわる逸話も書かれています。
よく知られるところでは、サッカー日本代表のロゴマークになっている八咫烏(ヤタガラス)の伝説などもそのひとつですね。
ところが、以降の第2代綏靖(すいぜい)天皇から第9代開化天皇までの8代の天皇については、本名や皇后・皇子女の名前、御陵(墓)などの記録があるのみで、その天皇がどんな人物で、どんなことをしたのかということはほとんど記されていません。
また、第10代崇神(すじん)天皇の歴史になると、当時疫病が流行したことや反逆者がいたことなど様々なエピソードが記されるようになります。
このように、第2代綏靖天皇から第9代開化天皇までの「欠史八代」は、不自然なほど記録やエピソードが書かれていません。
欠史八代の天皇がいた御陵(墓・古墳)などを紹介!
「欠史八代」の天皇の本名や御陵(墓・古墳)などをまとめてみました。なお本名はすべて『古事記』での表記です。
各天皇の御陵は下記のリンクからGoogleMapで閲覧できます。
第2代・綏靖(すいぜい)天皇:【御陵】桃花鳥田丘上陵
- 本名:神沼河耳命(かんぬなかわみみのみこと)
- 御陵:桃花鳥田丘上陵(つきだのおかのえのみささぎ)
- 古墳名:塚山古墳
第3代・安寧(あんねい)天皇:【御陵】畝傍山西南御陰井上陵
- 本名:師木津日子玉手見命(しきつひこたまてみのみこと)
- 御陵:畝傍山西南御陰井上陵(うねびやまのひつじさるのみほどのいのえのみささぎ)
第4代・懿徳(いとく)天皇:【御陵】畝傍山南纖沙溪上陵
- 本名:大倭日子鉏友命(おおやまとひこすきとものみこと)
- 御陵:畝傍山南纖沙溪上陵(うねびやまのみなみのまなごのたにのえのみささぎ)
第5代・孝昭(こうしょう)天皇:【御陵】掖上博多山上陵
- 本名:御真津日子訶恵志泥命(みまつひこかえしねのみこと)
- 御陵:掖上博多山上陵(わきのかみのはかたのやまのえのみささぎ)
第6代・孝安(こうあん)天皇:【御陵】玉手丘上陵
- 本名:大倭帯日子国押人命(おおやまとたらしひこくにおしひとのみこと)
- 御陵:玉手丘上陵(たまてのおかのえのみささぎ)
第7代・孝霊(こうれい)天皇:【御陵】片丘馬坂陵
- 本名:大倭根子日子賦斗邇命(おおやまとねこひこふとにのみこと)
- 御陵:片丘馬坂陵(かたおかのうまさかのみささぎ)
第8代・孝元(こうげん)天皇:【御陵】剣池島上陵
- 本名:大倭根子日子国玖琉命(おおやまとねこひこくにくるのみこと)
- 御陵:剣池島上陵(つるぎのいけのしまのえのみささぎ)
- 古墳名:中山塚一号・二号・三号古墳
第9代・開化(かいか)天皇:【御陵】春日率川坂上陵
- 本名:若倭根子日子大毘毘命(わかやまとねこひこおおびびのみこと)
- 御陵:春日率川坂上陵(かすがのいざかわのさかのえのみささぎ)
- 古墳名:念仏寺山古墳
謎の欠史八代は「実在しない」という説や「葛城王朝だった」という説を紹介!
『古事記』や『日本書紀』にほとんど記録のない「欠史八代」の天皇については、現在の歴史学の世界では「実在しなかった」とする説が有力なようです。
一方で、この「欠史八代」は現在の天皇家とは異なる「葛城王朝」という王朝だったする説もあります。
これらの説について簡単に解説します。
現在の歴史学では主流となっている「実在しない」説について解説
もともとは歴史学者の津田左右吉が、この「欠史八代」に加えて第14代仲哀天皇までの実在性を疑問視した「欠史十三代」説を唱えたことから始まりました。
戦前は不敬罪にあたるとして有罪判決になりましたが、戦後では古代史学の主流な考え方になりました。
その後、第10代崇神天皇以降の実在性が高まり、今日では「欠史八代」として「実在しない」という説をとっています。
この「実在しない」とする説の理由としては下記のようなことが挙げられます。
- 具体的な事蹟・エピソードが無い
- 寿命が異常に長い
- 第10代崇神天皇の呼び名が「初めて国を治めた天皇」と解釈できる
一方で、「実在した」と根強く主張する歴史学者もおり、はたして真実はどうなのかは定かではありません。
現在の天皇家とは異なる「葛城王朝」という王朝があったとする説を解説
「葛城王朝」とは歴史学者の鳥越憲三郎が唱えたもので、その説によれば第9代開化天皇までの実在した王朝としています。
概要としては、第9代開化天皇までは実在した「葛城王朝」であったが、第10代崇神天皇以降に別の王朝に取って代わられたという説です。
「欠史八代」の天皇陵の所在地をGoogleMapで見てもらえばわかりますが、たしかに奈良県の葛城地方に集中していることがわかります。
ただ、こうした王朝交代説はいくつかあり、その時代によって支持されたり批判の対象になったりしています。
何が真実なのかは定かではありませんが、ひとつ言えるのは、現代の日本は自国の歴史に対して自由な議論ができるということです。
これが閉鎖的で言論の自由が制限される時代や国であれば、こうした議論はそもそも起こらないでしょう。
その意味では、現代の日本に生きる私達はとても幸せななのだと思います。