大河ドラマ「麒麟がくる」で染谷将太演じる織田信長と川口春奈演じる帰蝶が結婚し、二人の関係が気になる人も多いのではないでしょうか。
しかし、史実からから見えてくる二人の仲は実は悪かったかもしれません。
はたして織田信長と帰蝶の仲はどうだったのか?そのことについて解説していきます。
目次
織田信長と帰蝶は実は仲が悪かった?その理由を解説!
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(第9回より)#麒麟がくる #麒麟File#織田信長 #染谷将太#帰蝶 #川口春奈 pic.twitter.com/tMmgprT2K2— 【公式】大河ドラマ「麒麟がくる」毎週日曜放送 (@nhk_kirin) March 16, 2020
「麒麟がくる」では初対面から織田信長と帰蝶は仲が良さそうに見えます。
しかし、織田信長と帰蝶は実は仲が悪かったと思えるのにはいくつか理由があります。
なぜそう言えるのか?その理由についてみていきましょう。
織田信長にはなんと9人の妻がいた!
織田信長が生きた戦国時代は、お家の跡継ぎとなる男子を生むことが重視されていたので、妻が複数いることは不思議ではありませんでした。
とはいえ、織田信長にはわかっているだけでも9人の妻がいて、記録には残っていない女性もいた可能性もあります。
「英雄色を好む」という言葉もありますし、織田信長も女性が好きだったと思いますが、ちょっと多すぎる気もしますね・・・
もしかしたら、織田信長が帰蝶との仲が良くなかったことをカモフラージュする為にたくさんの妻を娶ったのかもしれませんね・・・
織田信長と帰蝶が仲が悪かったと考えられる理由を解説
先程お伝えしたように、信長には多くの妻がいました。
なので信長にはたくさんの子供がいるのですが、なぜか正室である帰蝶との間には子供がいないのです!
もともと帰蝶との結婚はお互いの父、織田信秀と斎藤道三が和睦する為の政略結婚の意味合いが強く、お互いの意思ではありません。
家督を継ぐのは正室との間の子供が優先されるのが通例で、信長自身も母違いの信広という兄がいたようですが、この通例によって信長が織田家を継いだという経緯があります。
それにも関わらず正室である帰蝶との間に子供がいないというのは、帰蝶との間に生まれた子供が自分の跡を継ぐことを嫌がったからで、それほどまでに帰蝶との仲は悪かったという見方もできます。
また、1556年の春に起こった「長良川の戦い」で帰蝶の父・斎藤道三が亡くなると、その年の秋にはタイミングを見計らったかのように生駒吉乃(いこま きつの)という女性と結婚します。
しかも信長は、この生駒吉乃との間に生まれた信忠に家督を譲ろうと考えていたんですよね。
このように、二人の間には子供がいなかったことや、斎藤道三が亡くなってからの生駒吉乃との結婚などから考えると、信長と帰蝶の結婚はあくまで親同士の政略結婚であり、本当は仲が悪かったのではないか?と見てとることができるわけです。
ちなみに、斎藤道三(利政)と斎藤義龍(高政)が親子で争った「長良川の戦い」については下記の記事で紹介していますので、こちらも併せて読んでもらえると、「麒麟がくる」のその後の展開も見えてくると思いますよ。
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織田信長は帰蝶よりも好きな女性がいた?最愛の側室・生駒吉乃について解説!
先程少し話題にでた生駒吉乃という女性は、織田信長が最も愛した女性だと言われています。
そんな生駒吉乃について、どれほど信長が愛していたかご紹介します。
織田信長が惚れた生駒吉乃とは?:信長の熱愛エピソードを紹介
生駒吉乃の生まれた生駒家は、織田家の家臣として尾張国丹羽群で馬借(運送)と灯油の仕事を手がけていました。
そのため、屋敷内には商いに関わる客が滞在していることも多く、諸国の情報が大量に集まる場所でもあったのです。
生駒吉乃はもともと土田秀久(弥平次)という人物と結婚していましたが、土田秀久が戦で亡くなってしまった為、実家の生駒家に戻っていました。
各地の情報収集の為に織田信長も生駒家に出入りしていたようで、そこで未亡人の美しい吉乃と出会ったわけです。
彼女に一目惚れした信長は、それからというもの馬で飛ばして約1時間はかかる生駒家に足繁く訪れるようになりました。
その様子は『武功夜話』という書物にも記されているほどで、よほど生駒吉乃のことが好きだったかがわかりますね。
織田信長が跡継ぎにしようとした信忠や信雄・徳姫を生んだ
織田信長は生駒吉乃を1556年の秋頃に側室として迎え、その翌年1557年には二人にとっての第一子・信忠を生みます。
織田信長はこの信忠をとても可愛がり、のちに生前に家督を譲ります。
信長といえば「恐ろしい独裁者」というイメージが強くあり、とても生前に家督は譲るようには思えないかもしれませんが、それほどまでに生駒吉乃との子供である信忠を可愛がったということがよくわかりますね。
ちなみに、この信忠は「本能寺の変」において、自刃して信長とともに亡くなっています。
なお、信忠が生まれた翌年の1558年には信雄を、さらにその次の年1559年には徳姫を生みます。
徳姫は、大事な同盟関係にあった徳川家康の長男・松平信康の正室として送り出していますし、信雄も有力な大名の北畠家に養子に出しており、織田家にとって重要な役割を与えていました。
このように、生駒吉乃との間に生まれた子供たちの可愛がりかたをみても、いかに信長が生駒吉乃を愛していたかがわかりますよね。
「麒麟がくる」では織田信長・帰蝶の夫婦関係は?生駒吉乃は登場するのか?
実は織田信長と帰蝶の夫婦仲は悪く、信長は生駒吉乃のことを愛していたとお伝えしましたが、これについてはあくまでも「そのようにも捉えられますよ」という筆者の見方であり、事実というわけではありません。
歴史は人によって捉え方が異なる場合も多く、だからこそ大河ドラマ「麒麟がくる」ではどのように描かれるかが楽しみなんですよね。
現時点での放送では、信長と帰蝶は仲睦まじい夫婦になっていくように思えますが、今後生駒吉乃が登場したとすれば信長と帰蝶の関係はどうなるかわかりませんし、もしかしたらそのまま帰蝶といい関係を描くためにあえて登場させないかもしれません。
そんな恋愛模様を史実と照らし合わせながら「麒麟がくる」を見るのも楽しいですね。
ちなみに、信長と母である土田御前(檀れい)は、史実ではとても仲が悪かったようです。それについては下記の記事でまとめていますので、染谷将太演じる織田信長が檀れい演じる土田御前とどのように関わっていくかを占う意味で参考にしてもらえればと思います。
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いかがでしたでしょうか?
織田信長をめぐる恋愛模様や、家族をめぐる争いが「麒麟がくる」ではどのように描かれるかがとても楽しみですね。
さて、このブログでは他にも大河ドラマ「麒麟がくる」の時代背景を取り上げた記事を掲載しています。
登場人物の関係性など、ドラマでは描ききれなかった裏側についても書いていますので、さらに深く楽しみたいと思った人はこちらも併せて読んでもらえると嬉しいですね。
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