明智光秀と細川藤孝(幽斎)は盟友とも呼べる間柄で、大河ドラマ「麒麟がくる」でも主要な登場人物となります。
のちの「本能寺の変」ではこの盟友・細川藤孝が明智光秀の命運を決定づけたと言っても過言ではありません。
この記事では、そんな明智光秀と盟友・細川藤孝との関係について解説しています。
目次
細川藤孝(幽斎)と明智光秀の関係を家系図や足利義昭・織田信長との関係から解説!
明智光秀の娘・玉子(細川ガラシャ)と細川藤孝の息子・忠興の結婚によって親戚関係に
上記の家系図のとおり、明智光秀の娘・玉子と細川藤孝の息子・忠興の結婚により二人は親戚の関係になります。
戦国時代においては、家と家の結びつきを高めるためにお互いの子供を結婚させることが多く、明智玉子と細川忠興の結婚もそんな意味合いがありました。
つまり、それほど明智光秀と細川藤孝は信頼関係にあり、家同士の結びつきが高かったわけです。
ただ、そうした親同士の思惑で結婚したとはいえ、細川忠興は妻の玉子(のちのガラシャ)を溺愛していたようで、妻の玉子に好意的な視線を送ったという理由だけで庭師を斬り殺してしまうほどでした。
その行き過ぎた愛情はちょっと異常な気もしますが・・・
明智光秀と細川藤孝は、足利義昭を京都に上洛させ15代将軍にさせた
では明智光秀と細川藤孝はなぜこれほどまでに信頼関係にあったかというと、共に足利義昭を京都に上洛させ第15代将軍にたてた仲間だったからです。
仕えていた「美濃のマムシ」こと斎藤道三(利政)が、「長良川の戦い」で息子の斎藤義龍(高政)に殺害されると、明智光秀は美濃を離れ越前の朝倉義景に仕えるようになります。
この朝倉家では足利義昭との連絡役にあたっていたと考えられ、そこで足利義昭に仕えていた細川藤孝との結びつきが強力になったとされています。
細川藤孝は仕えていた足利義昭を将軍にしたいという思いがあり、有力な大名の朝倉義景のバックアップを期待しており、その朝倉義景に仕えていた明智光秀も同じ気持ちでそれに応えたいと考えていました。
ところが、肝心の朝倉義景には全くその意思がなかった為、明智光秀は美濃にいた頃のツテを頼りに織田信長に足利義昭の上洛をバックアップしてもらうことにします。
そして織田信長はその要請に応え、明智光秀と細川藤孝の念願であった足利義昭を第15代将軍に就かせることに成功したのです。
いわば、明智光秀と細川藤孝は同じ志をいだき、それを共に成功させた仲間だったわけです。
ちなみに、明智光秀は織田信長の妻・帰蝶(濃姫)といとこの関係にあり、そのツテで織田信長との交渉が叶ったものと考えられています。
この明智光秀と織田信長、帰蝶との関係については下記の記事でご紹介しています。
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明智光秀と細川藤孝は同じ時期に織田信長の家臣になった
さて、明智光秀と細川藤孝は足利義昭に仕えていたわけですが、一方で織田信長からその手腕を高く買われており、頻繁に信長とも関わりがありました。
将軍となった足利義昭は、次第に織田信長に対しても大きな態度をとるようになります。
その態度に織田信長は苛立ちを隠せなくなり、二人の関係に大きなヒビが入ってしまいます。
明智光秀と細川藤孝も、苦労のはてに足利義昭を将軍にしたものの、こうした態度に不信感をいだくようになっていました。
そんな二人に対し、高く評価していた織田信長は熱心に誘っており、二人もこれに応えて織田信長の家臣となったようです。
明智光秀と細川藤孝は、足利義昭の将軍擁立から織田信長に仕えるようになるまで、まるで同期のような関係だったと考えられますね。
「本能寺の変」で織田信長を討った後に明智光秀が細川藤孝へ送った手紙について解説!
明智光秀と細川藤孝は苦楽を共にした盟友だったわけですが、明智光秀が織田信長を討ち取った「本能寺の変」の時の二人の関係はどうだったのでしょうね。
そのことについては、明智光秀から細川藤孝へ送った手紙から当時の状況が見えてきます。
明智光秀が「本能寺の変」の後に細川藤孝に送った手紙の内容を紹介
手紙は箇条書きで書かれており、要約すると下記のような内容が書かれていました。
- 信長の死を悼んで親子で剃髪されたことに一時は腹が立ちましたが、考えてみればそれも仕方のないことです。
この上は私にお味方して頂き、大名になって頂きたくお願いいたします。 - 領地は摂州(兵庫県)を差し上げましょう。但馬・若狭の国については検討しておきましょう。
- 私が織田信長を討ったのは、息子の忠興殿を取り立てる為にしたことです。50~100日以内には周辺の国は平定するので、その後は自分の息子や忠興殿にやるつもりです。
このように、明智光秀は「本能寺の変」の後に織田信長に代わって天下を治めようと考え、細川藤孝に対して領地を与えるので味方をしてほしいよいう内容の手紙を送っています。
しかし、この手紙に書かれている明智光秀の思いは叶わず細川藤孝はこれを拒み、結果として明智光秀は味方を得ることができず、「山崎の合戦」で豊臣秀吉に敗れることになります。
細川藤孝はなぜ明智光秀に味方しなかったのか?
親戚関係にもあり、盟友ともいえる細川藤孝はなぜ明智光秀に味方をしなかったのでしょうか?
確かなことはわかりませんが、細川藤孝は処世術に長けており「誰につくのが一番良いか」ということを察知する勘が優れていて、「明智光秀に味方するのはマズイな」と判断したのでしょう。
いつ自分がやられるかわからない戦国時代においては、何よりも家を守ることが重要であり、その為には不利だと判断すれば明智光秀との関係を解消することも仕方がなかったのかもしれません。
これは筆者の憶測に過ぎませんが、もしかしたら明智光秀よりも先に豊臣秀吉がいたるところに根回しをしていて、細川藤孝にも積極的にアプローチしていたのではないでしょうか。
もし明智光秀の一番の盟友・細川藤孝を引き入れることができれば、それに同調して他の武将も引き入れることができる。
そう考えれば、豊臣秀吉が細川藤孝に対して破格の厚い待遇を約束して取り込もうとしたとしても不思議ではありませんよね。
大河ドラマ「麒麟がくる」で明智光秀と細川藤孝の関係は今後どうなるか考察
大河ドラマ「麒麟がくる」ではすでに明智光秀と細川藤孝は出会っており、お互いを認め合う存在として描かれています。
今後の展開としては、仕えている「美濃のマムシ」こと斎藤道三が亡くなり、越前の朝倉義景のもとに仕えることになると思いますが、そこで細川藤孝との関係がより深まっていくことになるでしょう。
最終的には「本能寺の変」によって二人の関係は崩れるわけですが、はたして「麒麟がくる」ではその時の二人の関係がどのように描かれるかの?
このような明智光秀と細川藤孝の関係についても今後の「麒麟がくる」の見どころのひとつですね。
このブログでは大河ドラマ「麒麟がくる」に関する戦国時代の記事について取り上げています。
明智光秀と一番深い関係の織田信長をはじめ、「美濃のマムシ」こと斎藤道三との関係や、その娘であり織田信長の妻でもある帰蝶との関係など、下記の特集コーナーで様々な角度から書いていますのでこちらも併せて読んでもらえると嬉しいですね。
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また、「麒麟がくる」をより楽しむ為に明智光秀が主人公の漫画やドラマ・アニメ作品をまとめましたので、様々な角度から明智光秀という人物を知ると面白いと思います。
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