織田信長の母親の土田御前(どだごぜん)は、実の息子である信長のことは嫌い、弟の信勝(信行)を溺愛したと言われています。
二人とも実の息子であるにも関わらず、なぜ土田御前は信長を嫌ったのでしょうか?
その理由について通説をふまえながら考えてみましたので、参考にしてもらえれば嬉しいですね。
目次
土田御前と息子の織田信長・織田信勝(信行)の関係を家系図から解説!
まずは簡単に織田家の家系図を確認しておきましょう。
土田御前(どだごぜん)は、織田信秀の継室(正室と離縁した後の妻)として4人の息子と2人の娘をもうけました。
織田信長はその二人の最初の息子として1534年に生まれ、続いて1536年に弟・信勝(信行)が生まれました。
当時は一夫多妻でしたので、信長の異母兄弟は数多くいて兄となる人物もいますが、家督は継室の子供である信長が継ぐことになりました。
母の土田御前はなぜ織田信長を嫌い弟の織田信勝(信行)を可愛がったか理由を考察!
母である土田御前は、実の息子の信長のことは嫌い、弟の信勝を溺愛したといいます。
ではなぜ信長を嫌い、弟の信勝を溺愛したのでしょうか?その理由について考えてみました。
土田御前は「うつけ者」織田信長を許せず、品行方正な織田信勝(信行)を可愛がった
一般的に言われているのは、いわゆる「うつけ者」と言われる信長の格好や破天荒な振る舞いが、土田御前にとっては不快で許し難かったということです。
その反面、弟の信勝は身なりもきちんとして品行方正そのものだったので、こういった信長とはまるで反対の信勝が良く思えたのでしょう。
土田御前の出生については不明な点も多く定かではありませんが、一説には鎌倉時代からの伝統ある六角氏の子孫の土田正久という人物の娘だったとも言われており、もしかすると伝統や礼節を重んじる家系の出身だったのかもしれません。
そうした生い立ちから、信長の破天荒な性格や行動は受け入れられず、対象的な信勝の方が良くみえたのではないでしょうか。
織田信長は幼少期から平手政秀に育てられたから
信長は父・信秀の跡を継ぐ為に、幼少期から守り役の平手政秀に育てられました。
その為、信長は母・土田御前と過ごす時間も限られてしまい、必然的に土田御前が側にいる信勝の方を可愛く思うようになるのはわかる気がします。
平手政秀の元に預けら離れて暮らす兄の信長よりも、近くにいる弟の信勝の方が可愛く思う。これがひとつの要因ではないかと思います。
織田信長が弟の織田信勝(信行)を殺害するまでの関係悪化の経緯や理由を考察!
さて、母である土田御前の偏った愛情のせいか、二人の父・信秀が亡くなると、跡継ぎをめぐって対立するようになります。
そして最終的には信長が信勝を殺害してしまうのですが、なぜそこまで関係が悪化したのか経緯や理由を考察しました。
織田信長が織田信勝を殺害するまでの経緯
1552年、二人の父・織田信秀が亡くなると兄の信長が家督を継ぎます。
しかしそれを不服に思った信勝は、自らが跡継ぎだと言わんばかりに代々当主が名乗ってきた「弾正忠」を名乗るなど、信長との対立姿勢を鮮明にします。
1555年、二人の叔父にあたる織田信次の家臣が、二人の実の兄弟である秀孝を誤って殺害してしまう事件が起こりました。
この件について信勝は激怒して報復を行いましたが、一方の信長は「弟の秀孝にも非がある」として信次を許しました。
この一件により、親族のつながりを尊重した信勝を当主とすべきと考える家臣が増えました。
翌1556年、信長の義理の父である斎藤道三が息子の義龍に殺害されるという事件が起きます。
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これによって信長は斎藤道三という大きな後ろ盾を失うと、信勝は今がチャンスとばかりに柴田勝家らを率いて信長に対して挙兵します。
「稲生の戦い」と呼ばれるこの戦いは信長の勝利で終わり、本来なら謀反を起こした信勝は切腹でもおかしくないところですが、母・土田御前の懇願により許されたのでした。
ところが、その後も信勝は津々木蔵人などを使って再び信長打倒を企てます。
しかしこの信勝の企ては信長に忠誠を誓った柴田勝家の密告により信長には筒抜けでした。
信勝の不穏は動きを知った信長は、やられる前にやってしまおうと一計を案じます。
1558年11月、信長は「病にかかったから最期に見舞いにきてほしい」と言って信勝と土田御前を居城の清洲城に招き、やって来た信勝を家臣に命じて殺害しました。
ちなみに兄弟で争った「稲生の戦い」については下記の記事で解説していますので、こちらも参考にしてみて下さい。
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織田信長と織田信勝はなぜそこまで関係が悪化してしまったのか
このように、信長と信勝は実の兄弟でありながら殺し合いをするほど関係が悪化してしまったわけですが、その大きな要因は母・土田御前の偏った愛情によるものだと考えられています。
土田御前の「信長憎し」の強い思いが信勝にも伝播し、その思いに取り憑かれていたようにも思えます。
「実の弟を殺害した信長は恐ろしい」という印象も受けますが、挙兵して敗北したものの一度は許されたにも関わらず、すぐさま謀反を企てた信勝の執念深さも見過ごせません。
土田御前と信長・信勝親子の関係は様々な描かれ方をしますが、大河ドラマ「麒麟がくる」ではいったいどのように描かれるのかも見どころのひとつですね。
「麒麟がくる」では染谷将太演じる織田信長と檀れい演じる土田御前の関係も見どころ
大河ドラマ「麒麟がくる」では、染谷将太演じる織田信長も登場し、従来の織田信長像とは異なる温和なイメージで話題になっていますね。
でも第9話で竹千代(のちの徳川家康)の父・松平広忠の首を織田信秀に差し出すシーンでは満面の笑みを浮かべていて、今までの信長とは違った恐ろしさの片鱗を見せていました。
一方、とても美人だったと言われる土田御前は檀れいが演じていて、このキャスティングには多くの人が納得していますね。
今後、父・織田信秀の死によって織田信長と土田御前の関係はこじれていくことになるわけですが、その二人を演じる染谷将太と檀れいの関係にも注目ですね。
さて、このブログでは他にも大河ドラマ「麒麟がくる」の時代背景を取り上げた記事を掲載しています。
登場人物の関係性など、ドラマでは描ききれなかった裏側についても書いていますので、さらに深く楽しみたいと思った人はこちらも併せて読んでもらえると嬉しいですね。
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