ヤマトタケル

ヤマトタケルとはどんな人?死ぬ最期までの伝説と生涯をわかりやすく解説

2019年11月9日

ヤマトタケルの名前は聞いたことがあるけど、いったいどんな人なのかよくわからない、という人は多いのではないでしょうか?
そもそも実在の人物なのか、神話に出てくる登場人物なのか。
この記事では、そんなヤマトタケルの伝説をもとにわかりやすく解説します。

 

ヤマトタケルはどんな人?そもそも実在の人物なの?

ヤマトタケルの系図

ヤマトタケルは実在の人物:家系図から解説

ヤマトタケルは第12代景行天皇の子供として生まれた実在の人物です。
「頭が8つあるヤマタノオロチを退治した架空の人物」と思っている人もいるかもしれませんが、それは神話にでてくる神様、スサノオノミコトです。

景行天皇と針間の伊那毘能大郎女(イナビノオオイツラメ)との間に生まれ、もともとは小碓命(オウスノミコト)という名前でした。
なお、同じ母親から生まれた兄がいて、名前を大碓命(オオウスノミコト)と言いました。

ちなみに、スサノオノミコトのヤマタノオロチ退治の神話については、下記の記事でその物語の裏の意味も含めてご紹介していますので、気になった人はこちらも読んでみて下さい。

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『古事記』と『日本書紀』ではヤマトタケルの人物像が異なる

ヤマトタケルについては、日本の歴史書である「古事記」と「日本書紀」に記されていて、下記のとおりそれぞれ漢字の表記が異なります。

  • 古事記 → 倭建命
  • 日本書紀 → 日本武尊

また、「古事記」と「日本書紀」では、ヤマトタケルの伝説も異なる部分が多々あります。
この記事では、表記をヤマトタケルとし、「古事記」に記されている伝説をご紹介することにします。

なお、『古事記』と『日本書紀』の違いについては下記の記事でご紹介していますので、こちらも併せて読んでみて下さい。

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ヤマトタケル伝説のあらすじとその最期をわかりやすく解説!

伝説其の1 兄を殺害して、父・景行天皇を震え上がらせる

景行天皇は、美濃国に兄比売(エヒメ)と弟比売(オトヒメ)という美しい女性がいると聞き、自分の妻に迎えようとしました。
そこで、ヤマトタケルの兄・大碓命(オオウスノミコト)に二人を連れてくるように命じます。

ところが、二人のことが好きになってしまった大碓命は、自分がその二人と結婚してしまいます。
そして、別の女性を探して連れて帰り、兄比売と弟比売だと嘘をついたのです。
しかし、景行天皇はそれに気がついてしまいます。

父・景行天皇をだましたことに気兼ねしたのか、大碓命は朝と夕方の食事の席に顔を出さなくなります。
景行天皇はそのことについて、弟・ヤマトタケル(小碓命)に「どうして兄・大碓命は食事の席に出ないのか。お前が兄に教え諭せ」と命じます。

しかし、5日ほど経っても兄・大碓命は食事の席に現れませんでした。
そこで景行天皇はヤマトタケルに「まだ兄・大碓命に教え諭していないのか」と尋ねると、ヤマトタケルは「すでに言い聞かせました」と答えました。
では、なぜ大碓命は食事の席に現れないのか不審に思った景行天皇は、「どのように言い聞かせたのか」とヤマトタケルに尋ねます。
するとヤマトタケルは「明け方に兄が便所に入った時、待ち構えてつかみ潰し、手足を引き裂いて袋に包んで投げ捨てました」と答えました。

それを聞いた景行天皇は、ヤマトタケルのあまりにも荒々しい性格を恐れ、自分のもとから遠ざけようと考えるようになりました。
その口実として、「西の方に熊曾建(クマソタケル)が二人いる。その者どもを征伐してこい」と命じました。

※熊曾建・・・熊曾:西の地(九州)、建:勇猛な人 人物の名前ではありません。

ヤマトタケルはこの時はまだ少年だったようです。
実の兄を、いとも簡単に惨殺してしまうのですから、そりゃあ親でも震え上がりますね。。
それよりも、思っていたヤマトタケルのイメージとは全く違いますよね。

 

伝説其の2 女装して九州の荒くれ者を征伐する

月岡芳年 「芳年武者無類」より

景行天皇から熊曾建(クマソタケル)兄弟を征伐するように命じられたヤマトタケルは、叔母の倭比売命(ヤマトヒメノミコト)から衣装を授かり、九州南部へと旅立ちます。

熊曾建の家に着き、様子を伺っていると、どうやら宴が行われるようでした。
そこでヤマトタケルは、倭比売命から借りた衣装を身にまとい、女装してその宴の中に紛れ込みました。

熊曾建兄弟は女装したヤマトタケルをすっかり気に入り、二人の間に座らせて宴を楽しんでいました。
そして、宴もたけなわになった頃、ヤマトタケルは懐から剣を出してまず兄を殺害します。
弟はそれを見て逃げ出そうとしますが、ヤマトタケルは捕まえて殺そうとします。

すると弟は、ヤマトタケルに対して「大和国には私達よりも強い者がいた。あなたを倭建御子と呼んでその強さを称えましょう」と言いました。
その言葉を言い終えると、すかさずヤマトタケルは弟を殺害します。
こうして、女装して宴に紛れ込み、熊曾建兄弟の征伐を成し遂げました。
なお、倭建命(ヤマトタケルノミコト)の名前は、この時から呼ばれるようになったのです。

 

 

伝説其の3 出雲の荒くれ者をだまし討ちする

ヤマトタケルの西征ルート

ヤマトタケルは、景行天皇の命令をはたし大和へ帰る途中、出雲建(イズモタケル)も征伐しようと考えます。
そして出雲に着くと、すぐに出雲建と友達関係になります。

ヤマトタケルは密かに樫の木で木刀を作り、それを鞘におさめました。
そして出雲建を河原に誘い出し、友情の証として「太刀を交換しよう」と言って、出雲建に作った偽の木刀を渡します。
そして「太刀合わせをしよう」と言い、出雲建が木刀で作った偽の太刀に戸惑っている隙きをついて斬殺してしまいます。

こうして、西の地域もことごとく平定し、大和の地へと帰って行きました。

ヤマトタケルは卑怯者?

女装して、相手が油断しているところを殺害したり、木刀を作ってだまし討ちをしたりと、現代人の感覚からすると、ヤマトタケルの戦い方は卑怯だと思うでしょう。
しかし、スサノオノミコトが酒で酔わせてヤマタノオロチを退治したように、こうした戦い方は「戦術」や「知恵」として捉えられていたようです。
「目的の為には手段は選ばない」ということなのでしょう。

 

伝説其の4 三種の神器・草薙剣で焼け野原から脱出

ヤマトタケルの東征ルート

熊曾建や出雲建を征伐し、西征から戻ったヤマトタケルですが、景行天皇からすぐに東国へ遠征に行くように命じられます。

その命令を受けて、すぐに東国へと向かいますが、途中で伊勢の神宮に立ち寄り、叔母の倭比売命(ヤマトヒメノミコト)に会いにゆきます。
その時ヤマトタケルは「天皇は私が死んだらいいと思っているのではないか?なぜ西国の悪人を征伐し、帰ってきて間もないのに、軍勢も与えられずすぐに東国へ遠征させるのか。やはり私など死んだほうがいいと思っているのでしょう」と、悲しみで涙ながらに倭比売命に言いました。
それを聞いた倭比売命は、ヤマトタケルが出発する時に「困ったことがあれば、この袋を開けなさい」と言って、袋と草薙剣を授けました。

その後、ヤマトタケルが相武国に到着した時、その土地の有力者が「この野原の中に大沼があり、その沼に住む神はとても霊力のある神です」と進言しました。
それを聞いたヤマトタケルは、その神を見ようと野原に入っていきます。
すると、その有力者は、なんと野原に火を放ったのです。

騙されたと知り、窮地に陥ったヤマトタケルは、叔母の倭比売命から授かった袋を開けると、中には火打石が入っていました。
同じく倭比売命から授かった草薙剣で周りの草を薙ぎ払い、火打石で火を起こして向かい火を放ち、なんとかその焼け野原から脱出することに成功します。

そして、騙した有力者を斬りつけ、火をつけて焼き殺しました。
そのことから、その地を焼遺(やきづ:静岡県焼津市)といいます。

 

伝説其の5 お妃・弟橘比売命の捨て身の愛

さらに東へと進もうと、走水海(はしりみずのうみ:東京湾)を渡ろうとします。
しかし、その海峡の神が波を引き起こし、船をグルグルとまわして翻弄したので、渡ることができずにいました。

その時、ヤマトタケルのお后・弟橘比売命(オトタチバナヒメ)が「私が海の中に入って海の神をなだめます」と言いました。
そして、幾つもの敷物を波の上に敷いて、その中に飛び込んで行きました。
すると、今まで荒れていた波が自然と収まり、船を進めて海峡を渡ることができたのです。

しかし、ヤマトタケルを助けるために海の中へ飛び込んだ弟橘比売命は、荒波に飲まれてしまい、戻ることができませんでした。
そして、その7日後に弟橘比売命の櫛が浜辺で見つかりました。

その後、ヤマトタケルは東国を平定し、大和の地へと帰る途中の足柄山の山頂で、「吾妻(あずま)はや:ああ我が妻よ」と弟橘比売命を偲んで叫びました。

 

伝説其の6 伊吹山の神の怒りにふれる

東国への遠征から帰る途中、尾張国でもともと婚約していた美夜受比売(ミヤズヒメ)と結婚します。

一夜をともにした後、ヤマトタケルは草薙剣を美夜受比売のもとに置いて、荒神を討とうと伊吹山へ向かいます。
そして「この山の神は、剣を使わずに素手で倒してやる」と意気込みます。

山に登るふもとの所で、牛のように大きな白いイノシシに遭遇します。
「このイノシシはきっと神の使いだろう」と、あまり気に留めずに通り過ぎようとしました。

すると、突然激しくヒョウが降ってきて、ヤマトタケルを襲いました。
そして、そのヒョウに当たったヤマトタケルは意識を失ってしまいます。

ヤマトタケルが「神の使い」だと思っていた大きな白いイノシシは、実は伊吹山の神自身でした。
そしてその伊吹山の神がヤマトタケルの言動に怒り、ヒョウを降らせてヤマトタケルにたたりを起こしたのです。

 

伝説其の7 最期は白鳥となって飛び立っていく

伊吹山の神の怒りをかい弱ってしまったヤマトタケルは、なんとか清水の湧き出る所までたどり着き、そこで意識を回復したので、その清水を「居醒(いさめ)の清水」と言います。
しかし、その後は徐々に容態が悪化してゆき、その様子を表すように地名がつけられました。

  • 歩行が困難になり「たぎたぎしい(険しい)」と嘆いた → 「当芸(たぎ)」
  • 疲労の為、杖をついて坂を登った → 「杖衝坂」
  • 足が腫れ、三重にくびれた餅のようになった → 「三重」

現在の三重県は、ヤマトタケルの伝説がもととなって名付けられたことがわかります。

ヤマトタケルは満身創痍になりながらも、大和へ帰ろうと進み続けますが、能煩野(のぼの:三重県)に着いた時、ついに息を引き取りました。
すると、ヤマトタケルの魂は白鳥になって飛んでゆき、志機(大阪府柏原市)に降り立ちました。
そこでその地に御陵がつくられ、「白鳥御陵(しらとりのみささぎ)」と名付けられました。

 

 

ヤマトタケルの生涯を、その伝説から簡単にふりかえる

戦いに明け暮れる生涯

父である景行天皇の命令によって、まだあどけなさの残る少年に時代から西国への遠征に向かわされます。
西国からの帰還後もすぐに東国への遠征を余儀なくされ、大和へ帰ることは叶わず、その帰路で息を引き取りました。

ヤマトタケルは、父・景行天皇との確執によって、戦いに明け暮れる生涯を余儀なくされたのです。

 

お妃など女性の力が支えとなる

東国への遠征の前に、ヤマトタケルは叔母の倭比売命(ヤマトヒメノミコト)に会いにいきます。
そして、「自分は父・景行天皇に嫌われているのではないか?」と悩みを打ち明けます。
それを諭すように、倭比売命は火打ち石の入った袋と草薙剣を剣を授け、それがヤマトタケルを窮地から救うことになりました。

また、遠征の途中、海峡を渡ろうとしますが、神の力による荒波によってヤマトタケルの行く手を阻みます。
そこで、お妃の弟橘比売命(オトタチバナヒメ)が、その神をいさめる為に、自ら海に飛び込みました。
それによって、波は静まり、ヤマトタケルは無事にその海峡を渡ることができたのです。

このように、ヤマトタケルが窮地に陥った時は、女性の力が支えとなって乗り越えていくことができたのです。

 

 

【まとめ】ヤマトタケルとはどんな人?その最期までの伝説と生涯を簡単に

  • ヤマトタケルは、第12代景行天皇の子供で実在の人物。
  • ヤマトタケルは、父・景行天皇の命令で西国、東国へ遠征を強いられる。
  • 遠征先で、その戦いの様子や強さを示す数々の伝説が生まれる。
  • 遠征先で窮地に陥ると、お妃など女性の力が支えとなり、その困難を乗り越えた。
  • 伊吹山の神の怒りにふれ、そのことがもとで、大和へ帰ることができずに死んでしまう。
  • 死後は白鳥となって飛び立ってゆく。

さて、今回ご紹介したのは「古事記」でのヤマトタケルの物語です。
実は、同じ日本の歴史書である「日本書紀」でもヤマトタケルのことは記されていますが、「古事記」とはまるで違う人物像で描かれています。
その違いについては、下記の記事でまとめていますので、こちらもぜひ読んでみて下さい。

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